山松ゆうきちのボロ小屋 <立ちしょんべん>

面白い映画を見た


面白い映画を見た 2


面白い映画を立て続けに二本見ました。

いずれもケーブルテレビで、以前に見た映画です。              

題名は、「○×△◇の空」だったろうか?                   

最後の字幕上に書かれた文字を、チラッと見ただけで覚えていない。         (映画の題名は、1994年の年アメリカ映画 “ショーシャンクの空に”でした)

主演は、アメリカ映画で時々見る顔の男で、地味な演技をする役者だが名は知らない。

助演は黒人のモーガンフリーマン。


主演の男は銀行マンで、妻殺しの罪で終身刑を受けて刑務所に入る。

務所に入った夜、ここから出たいと泣く太った男は、看守に殴られ病院に送られて死んだ。

受刑者達の調達屋を請け負う、助演モーガンは言う、

「ここでは皆無実だと言う奴ばかり居る、残念だが私以外は」

主演の男は、古参の受刑者に釜を掘られ続け、頭がおかしくなりそうになるが、

看守の親が死に相続した遺産を、更に妻に贈与すれば安くなると教え、他所の刑務所の看守の税金対策までやるようになり、

何十年も、務所暮らしの年取った受刑者が居る、極めて暇な図書係に回された。

務所で受刑者に作らせる製品は安く上がるので、民間の業者は太刀打ちできない。

そこで入札に参加しないように、民間の業者が務所を取り仕切る所長に裏金を送る。

元銀行マンの男は、その裏金を何口にも分けて、幽霊名義の口座へ入金する帳簿を作った。

釜を掘っていた男は、主演の男にフェラチオを強要するが、口に入れたら噛み切ってやると拒否して、1ヶ月も入院するほど殴られる。

殴った男は、看守長に半殺しされ半身不随にされた。

独房の部屋に張られていた女優は、マリリンモンローに代わり、更にラクウェルウエルチに変わる、

気の遠くなるような年月が、刻々淡々と重ねられ過ぎてゆく。

主演の元銀行マンの妻を殺したと言う男が、他所の務所にいた話を聞くが、

所長は

「再審は難しい」

と言い、看守長はその話をした男を殺してしまう。

それを聞いた元銀行マンは、幽霊口座の帳簿を持って、二十年間?誰にも言わず、掘り続けた独居房の穴から脱獄した。

脱獄した元銀行マンは、銀行を回って幽霊口座の金を下ろし、これからの贅沢な暮ら予想させる。

不正がばれた所長は自殺。協力した看守長は捕まる。

調達屋のモーガンフリーマンは、二十年、三十年ごとに、仮出所願い提出して面接され、

「私はまともです。社会に出ても立派にやっていけます」

穏やかに話すが、いつも不可になっていた。

銀行マンが脱獄した四十年目?に、

「こんな年寄りが、今更生きていようが死のうがどうでもいい」

と開き直った。

意外にも仮出所が認められる。

無所に居たから顔の聞く調達屋であって、街では大した役にたたないただの老人にしか過ぎない。

タマにしか見た事の無かった車は増え、スーパーで働く仕事について行けず、繰り返す毎日の生活で生きるのが辛くなっていき、

何十年も刑務所で一緒に暮らし、仮り出所して自殺した図書係を思い出す。

「メキシコ近くの国境の、○○の手前にある大きな木の近くに、黒曜石が積んである」

脱獄した銀行マンが話していたのを思い出し、仮出所の法を破り無断でそこへ行ってみる。

果たしてそこには、お金と手紙が置いてあり、二人は再会した。


いくら昔とは言え、二十年も一人の男が、同じ独房に入り続ける事はあるのだろうかと言う疑問はあるが、

面白い映画だった。

<<南アフリカのネルソンマンデラは、二十七年間もの長きにわたり刑務所に入れられ、入っていた独房をテレビ見た。

帝銀事件の死刑囚平沢は、三十九年間刑務所に入っていたらしい(途中宮城から八王子刑務所に移る)

二十年ぐらい同じ独房に入れられる事はあるかも知れない>>



もう一本は「ビルマの竪琴」で、

五十年近く前、中学の時に見たように思うが、何時見たのかは定かではない。

後になって小説を読んだが、映画の方が勝ると思っていた。

十年ぐらい前にもなるだろうか。

石坂浩二主演で「ビルマの竪琴」は作られ、テレビでの放映を半分くらい見たが、

臨場感の無い面白くない映画で、やっぱり三国連太郎との演技力の差だろうか、又は監督の違いかと思っていた。

所が主演は三国連太郎では無かった。

(主演の男の名は知らないが、坊主になって困窮の中で行きぬくには、腕が太く肥えている)


日本は、アメリカとの戦争に負けたのだ。

これ以上の戦いは意味が無いと、主人公水島は、終戦を知らず戦闘を続けるある部隊に、降伏するように説得に行く。

部隊は多数決を取り、そして闘い続行を決め全滅した。

主人公はビルマのアチコチに転がる、無残に屍となった日本兵の遺体を見、これの埋葬を決意して、敗戦後の帰国を一人拒否する。

頭を剃り、ボロの僧衣を着て、穴を掘って死体を埋め続ける坊主を見て、ビルマの人は一緒になって埋葬を手伝う。

隊長以下兵達は、水島が生きているのか、生きていれば何故に戻って来ないのか、意味も理由も解からず、

「おーい水島、日本に帰ろう」

とオームに教え、オームは、はっきりとは喋らないがそれらしく鳴くようになり、

捕虜兵たちの宿舎に来る物売りのお婆さんに、頭を剃り僧衣をまとった水島らしき人にわたしてくれと頼む。

そのオームを肩に乗せ、宿舎の外で水島は竪琴を引く。

中にいる日本兵は、日本の歌を合唱し呼びかけるが、僧衣をまとった水島は、何も言わず丸めた頭を下げて去って行く。

俺には遺骨を埋葬する事に、どれほどの意味があるのかは解からない。

解からないが、主人公水島の遺骨の埋葬は、情念があり静かではあるが信念が伝わってくる。

最後に舟で去る戦友に、手紙で全ての日本兵の埋葬が終わるまでは、日本に帰らない事を告げる。

通常は、今まで共に戦った仲間には、お国のために死んだ兵の埋葬をしたいのでビルマに残ると、最後ではなく最初に言うのでは無いかとも思った。

思ったが、とっても良い映画だとも思った。

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