オリンピックの開催地が、東京に決まった。
なぜ?
オリンピックが嫌いなのではなく、開催されれば、それなりにテレビで見るのですが、
日本のようなスポーツの盛んな国が、立候補するのはおこがましいと思っていた。
前の東京オリンピックが開催されたのは、俺が16歳の時、
大阪の堺市の自転車のハンドルを作る会社に勤めていた。
従業員は20人か30人もいただろうか。
隔週日曜の、月に2日しか休みが無く、
毎月の残業は80時間を超えていたから、毎日が仕事をして寝るだけのような気がしていた。
8畳くらいの物置きを兼ねた着替え部屋に、5,6人が住み込み、夜の7時から11時過ぎまで、日によっては12時をこえるまで仕事をしていました。
終われば隅に積んである布団を出して、雑魚寝のように寝る。
新入りの俺は、入口のみんなが靴を脱いで履くそばの板間に、ゴザを敷いた上で寝ていたが、
朝の6時過ぎから7時前後には、従業員が出社してきて、その部屋で着替えるから寝てはいられない。
たまに日曜出勤もあった。
そんな忙しい中でも、オリンピックの聖火ランナーが大通りを走ると言うので、
仕事を一時中断してランナーが来るのを待った。
パトカーに先導された2,30人のランナーの、前を走る何人かが右手に聖火を持ってゆっくり、何処ともなく走り去って行った。
ただそれだけのあっけない事だったが、仕事の中断が嬉しかったように思う。
三宅が重量挙げで、片足を上げて金を取った。
回転レシーブで東洋の魔女と言われた、女子バレーが金を取った。
小野、遠藤、山下などが出場する体操も金を取った。
マラソンはアベベが優勝して、円谷が身体を振りながら苦しそうに3位に入った。
ラジオのニュースを聞き、許される範囲で実況を見るが、ほとんどは録画で見たように思う。
録画でも、日の丸が上がり、君が代が流れると、涙が出そうになるくらい感動したのを覚えています。
この頃、空手チョップの力道山が何者かに刺されて死に、サバ折り豊登が、4の字固めで日本を震撼させた、デストロイヤーを破ってチャンピオンになったと、仕事中にチラッと見たテレビから、そんな声が聞こえ驚いた。
見たい、テレビを見たい。
オリンピックを、ライブで生の実況で見たい。
2週に1回しか放映されない、プロレスを見たい。
休みたい、お金はいらないから休みたい。
毎日そう思って暮らしていた。
だからと言って、休みにやる事があるわけではなく、
映画を見に行くぐらいで、何にもすることはないのです。
これから先何十年も一生。この休みの少ない低賃金の仕事が続くのかと思うと、気の遠くなるようなつまらない人生が見え、ぞっとした。
部屋の真ん中に1つある、電球の下に箱を置いて漫画を描いた。
「おまえ漫画家になりたいのか、立派だね」
みんなは褒めてくれたが、暇を見ては箱を出して描く、俺を見るのが億劫になったのかも知れない。
「又描くのかよ」
面と向かっての非難はしないが、時にはうるさそうな邪魔くさそうな顔をされる。
従業員に嫌われていた、社長の親父さんの後妻になったと言う、奥さんに呼ばれて、
「みんなと同じように出来ないの」
2時間か、3時間もも説教された。
はかなく身の無い作業であっても、描かなければ将来の恐怖が俺を襲う。
テレビを見て楽しむ仲間達の横で、持込み用の漫画を描き続けた。
先進国と言われる国の仕事の多くは、サービス業と言うか、
娯楽にたずさわる人が多いと言う事だろうか。
スポーツや芸能などの楽しみは、どの国にもどこの地域にも満遍なく親しまれていると思うが、生活にゆとりがなければ、規模も楽しみ方も幅も小さく限定されるように思う。
国の発展を正義とするなら、東京オリンピックは日本の発展の、目に見える岐路の証だった。
日本で2度目のオリンピックの話が、時々に耳に入った。
何処の国で開催されようが、興味があるわけでは無いが、
心情として、発展途上間もない国にこそ、ふさわしいお祭りだと思っている。
年寄りの多い途上国など聞いたことが無い。
若者の多い途上国で、国を挙げての祭典が開催されれば、
多分、今の日本とは違い、かっての日本のように、熱狂度も目的や質も少し違うように思う。
インドに居た頃、次のオリンピックはインドでと言うパンフレットを見て、
候補地としてふさわしいと思ったが、いつの間にか消えてしまった。
インドのオリンピックのメダルは、12億の人口に比すれば驚くほど少ない。
ロンドンで6個.北京3個.アテネは1個。
スポーツが盛んとは言えない彼の国の、女性のスポーツは更に希薄だ。
少し前まで、買い物に行くにも夫の許可を取り、家族以外の男に顔を見せてはいけないと言われ、全身を布で包んで外出する。
9年前、下宿先の20代の奥さんは、客や親戚の男性が来ると、急いでサリーをかぶり顔を隠していた。
希望を持って暮らす事を正義とするなら、
つつましいインドの女性が、他の国の女性が裸に近い姿で、走って跳んで投げて持ち上げる競技を見れば、
オリンピックの出場は叶わない夢であっても、家に閉じこもった女性たちの、押さえる事の出来ない青春の証として、競技に挑戦する人が増えるような気がしたのです。
今の日本は、うんざりするほどにスポーツが溢れている。
多くはテレビで実況され、録画で放映され、
それなりの実力があれば門戸もひらかれている。
そんな日本でオリンピックが開かれるよりも、
道行きに、まだ頬かむりの頭巾を身に着ける女性がいる、
イスラム圏初のイスタンブールが、今回のオリンピックはふさわしいと思っていました。