山松ゆうきちのボロ小屋 <立ちしょんべん>

 インドラニ―の優しい娘 − その1 −


 
  インドラニーのやさしい娘  − その1 − 
 
                                           < 2013 、10、9 >


デリーに長雨が続いた。

雨季だった。


朝から晩までシトシトあるいはザンザンに振り、時には篠突くような土砂降りになった。

それが止まる事なく1週間続いた。

その日の夜、デリー建設の社長マンデオールムアンドは高台に建てた、新築の別宅に戻って寝たことを家族は知らない。

いや家族ばかりか、誰も知らなかった。

 

明け方近く、妻のカリーナーは天地を揺るがすような地響きに目を覚ますと、家は轟音とともに揺れており、かすかに男の叫び声が聞こえたような気がした。

一体何事が起こったのか解らなかったが、慌てて飛び起き、揺れる足元に気をつけながら電気を点け、窓から外を見ると、薄明かりの中かすかに地が上から下に滑っているのが見え、潰れてガレキとなった家が、ゆっくりと流されて行く。

カリーナ―は驚愕して、尻餅をつき動けなくなった。

「ち、地球が、地面が動いている」

天と地が割れ、とてつもなく大きな怪物が動いているようでもあった。

再び男の叫び声が流れて行くのが聞こえ、それは間違いなく夫の声だったように思う。

やがて、轟音は消え静かになった。

 

妻は意を決して立ち、明かりを点け、階下に下りて居間と玄関と外のスイッチを入れ、ドアを開けて表に出た。

小雨になっていたが、入口の4、5メートル先から庭一面が土砂に埋まり、30メートルも高く盛った高台の敷地は、3分の1ほどが崩れ、上に建つ別宅は消えて無くなっている。

家は目の前に、ぐちゃぐちゃに潰れ、あちこちにばらけて土に埋まっていた。

「ひ、ひぇ〜っ」

流されて壊れた建物の間に夫の衣服が見えた。

「あ、貴方」

細くきゃしゃな体は、雨と土砂に足を取られて転ぶ。

物置からスコップを、家から懐中電気を持って来て、土と石をかき分け掘ったが、ちぎれた夫の衣服以外は見つからず、

どうしていいのか唖然とし途方にくれる。

 

家に戻り、震える手で会社の役員であるモーハンに電話をかけた。

「い、家が、高台の、新築の、建てた家が、流れたの」

「落ち着いて下さい、奥さん、新築の家がどうしたんです」

「あ、雨に、土と、崩れて、壊されて流さたの」

「警察や消防に連絡しましたか」

「えっ、いえ、そ、それはまだです」

「解りました、私から連絡します。すぐに行きます」

カリーナーは再度物置に入り、一輪車のネコを持って来て、慣れぬ手つきでスコップですくった土をネコに入れ、土手の近くの大きな石の近くまで持って行って捨てる。

夫が、流れた土砂の下に居るかも知れないと思うと一刻を争っていた。

雨は激しくなり、スコップですくえない石や砂利は、手でかいてネコに入れて大石の近くに運んで捨てるが、微々たる量で作業ははかどらない。

それを七、八度繰り返した所で、モーハンから連絡を受けた、同じ会社に務めるサラットの車が到着し、雨具を着ながら車から降りて来た。

「こ、ここです。ここからうちの人の、夫の声が聞こえたのです。ここです」

カリーナーは駆け寄り、案内するようにスコップを振り、ガシッ、ガシッと土砂を打ち付けながら必死の形相で訴える。

「解りました、分かりましたから奥さんは休んで下さい。後は私たちがやります」

サラットは、寝巻き姿でびしょ濡れの、カリーナ―の痩せた細い身体を抱えるようにして家に入り、恐怖のためか、雨に濡れたせいか、ガタガタ震える彼女に紅茶を入れて出した。

カチカチとカップに歯が当たり、うまく紅茶が飲めない。

「パパは埋まっちゃったの?」

娘が、不安そうな顔で二階から降りてきた、

「ああ、ニーナ。まだ解らない、でも大丈夫、大丈夫よ」

そう言って、震える手をニーナの頭に回して、胸に引き寄せ抱える。

 

車のブレーキの音がした。

重役のモーハンが、社員を連れて車から降りるのを見て、カリーナーはカップを置き、居ても立っても居られないと言った感じで、再び外に飛び出す。

「ここです、この辺りからうちの人の声がしたのです」

雨具を着たモーハンとサラットが、スコップでネコに土砂を入れると、

「ここに、こっちに捨てて下さい」

懐中電灯を照らして、自分が捨てていた大石の近くに誘導した。

パオン、パオン、パオン。

消防車が到着し、警察が来てロープを貼り、続々とデリー建設の社員が来て、

ユンボで土砂をさらい、壊れた家の柱やピアノや、セメントや岩は重機で釣り上げて、瓦礫の撤去作業が始まったが、夜が明けてもマンデオールムアンドの、姿はなくいっこうに見つからなかった。

「ご主人の声は間違いなく聞こえたのですね」

「はい、聞こえました、間違いなく、そう思います」

「おかしいな、消える訳はないのですが、とにかく全部の土砂と瓦礫を撤去してみるしかない」

社員たちは、昨日のマンデオールの足取りを確かめるが、果たして家に帰っていたのか、深夜の足取りはかいもく解らなかった。

カリーナ―が声を聞いたと言うなら、土砂を撤去して探して見るしかない。

崩れた土砂や瓦礫は、一箇所にうずたかく積まれ、積みきれない分は近くの空き地にトラックで運ばれた。それでも夫マ―ルデオールムアンドは見つからなかった。

「私、寝ぼけて聞き間違えたのかしら」

「それなら良かったじゃないか」

「そうね」

空耳と言う事もある。

夫ムアンドの行方は、深夜カロールバーグで知人の女性と食事をして、1人車で帰ったと言う事までしか解らなかった。

酒をしたたかに飲んでいたらしいが、以後の足取りが依然として掴めない。

 午後になって、歩道に前輪を乗せているムアンドの車が、カロールバーグの繁華街の近くで見つかり、

ここから家の近くまで運んだと、オート三輪のドライバーが証言した。

泥酔で運転できず、オートを捕まえて帰ったらしい。

夕方近くに、バレー部の合宿に行っていた、中学三年の息子マリクが戻って来た。

「まだ見つからないの」

息子の問いに、カリーナ―は、疲れた悲しそうな顔で首を振った。

 

次の日、うずたかく積まれた土砂と瓦礫は、トラックで運ばれ綺麗に片付けられる事になって、やっとマンデオールの遺体が見つかった。

カリーナーは椅子から飛び上がり駆けつけたが、

そこは、自分が最初にネコに入れて捨てた土砂の下、大きな石の根元に仰向けでうずまっていた。

「え、ええ、どうして?」

驚きで固まり、手で顔を覆い、膝を折って驚愕の悲鳴を上げて叫び泣き崩れ、

狂ったように地面を叩いた。

「きゃ〜〜っ、うわあ〜、ああああ〜〜〜」

 

神のいたずらとしか思えなかった。

土砂は庭を通って、土手近くの大石まで流れていた。

そこに、大石に堰き止められた土砂の下に、夫が横たわって居るとは思わず、ネコで運んで捨て、後から来た社員にも捨てさせ、

駆けつけた消防隊もユンボで掬って捨て、土砂は大石を埋めて山のように積まれた。

その下に夫が居たのだ。

「うおおおお〜〜」

カリーナーは気が狂ったように暴れ、半狂乱に泣き続ける。

嗚咽する華奢な細い身体は哀れだった。

 

「道路の先の川の辺りに、捨てようとは思いませんでしたか」

「はい、思いませんでした。屋敷の外へ捨てれば迷惑をかけます。それに幾らで買ったのか知りませんが、お金を出して買った石や土ですから。まさか、あそこに夫が居るとは夢にも思いません」

警察や消防隊に聞かれる度に無念そうに答える。

「見つかったとしても、生きていた可能性は皆無だったでしょう」

「でも」

「奥さんは、一生懸命よくやられましたよ」

警察も会社も、事情を知る多くの人は、肩に手を添え、あるいは手を取って慰めてくれた。

2階の自分の部屋で寝ていた娘のナバは、

「何か大きな音がしたようで、目が覚めて外を見たけど、暗くて何も見えないので又寝てしまいました。次に目が覚めた時は、話し声が聞こえたので起きて下に降りたら、会社の人が来ていて、びしょ濡れのママが、震えながら紅茶を飲んでいました」

憔悴しきった顔でそう答えた。

前々日まで試験で、試験から解放されて、友達にメールを打ち、DVDで映画を見たりして、11時近くまで起きていた。

普段から眠りが深く、家が揺れた事にも気が付かないようだった。

マンデオールの弟キショールは、

「土砂に埋まって窒息するまで、大量の土砂を飲み込んだらしい、口から胃まで土が詰まっていたと言う事だ。生きていたら苦しかったろうな」

「私が悪いのです。私が余計な事をしなければ、助かっていたかも知れません」

「いや、そんなことはない、家が潰れたんだ、兄はすでに死んでいたと思う」

キショールは自分の言葉を否定し、目を腫らし疲れ切ったカリーナーの背に手を回して、慰めるように優しく抱いた。



                           < 2013 、10、9 >

                <その1、終わり >

                               インドラニ―の優しい娘 −2−




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