<記憶に頼って書いているので、多少の間違いが
あるかも知れませんが、ご容赦>
この頃は、ほとんど映画館には行かない。
民放も、古い映画を映さなくなったように思う。
で、ケーブルテレビで見る事になる。
(映画の題名は、マイウェイ、です)
いつも口数の少ない役が多い、オダギリジョーと言う俳優が、
「たかが車引きに負けるか」だったかな?
力を入れて喋っている。
「おや」
珍しく饒舌な役かなと思って見た。
どうやら日本人と、日本にきた朝鮮人がマラソンを走る映画のようだ。
オリンピック選考のマラソンが始まり、ゴール前で追いついて来た朝鮮人を、日本の選手が体当たりして邪魔をし足を掛けるが、掛け損なって自分が倒れてしまう。
レースは車引きの朝鮮人が、マラソン選手のオダギリジョーを追い抜き1等になった。
しかるに選考委員は、オダギリを1等にし、体当たりをされ足を掛けられた朝鮮人を、走路妨害で失格とした。
あれ?何か変なの。
いくら設定が戦前だからと言っても、レース中に足を掛けて邪魔をするような選手が、レースに出るのだろうか?
しかも政府主催、もしくはオリンピック委員会主催のレースで、掛けられた方が失格になると言った事があるだろうか。
怒った朝鮮人達は暴れて乱闘になる。
これはアクション映画だなと思い、テレビを切ってネットで碁を2局打って、もう一度ケーブルテレビを点けたら、まだオダギリジョーの映画が続いていた。
満州事変か太平洋戦争に入っていて、この前の選挙で国会議員になった、山本太郎参議院議員の日本兵が、
「ちょん公、朝鮮」と声高に叫んで、馬鹿にしていると言うか見下し、何かあるとすぐに殴るのです。
急ぎ川に橋を架けるのですが、山本太郎参議院議員の日本兵は、朝鮮人の架けた橋ゲタのチョウツガイと言うのか大きな釘を1本抜いて川に投げる。
釘の無い板の部分は、隙間が空いて音がする。
上官であるオダギリジョーがこれを調べ、朝鮮部隊に懲罰を与える。
う〜ん、いかに戦争中とはいえ、国家の存亡をかけて戦っている折に、こんな姑息な事はやらんだろう。
日本人兵隊は、散々に朝鮮人兵隊をののしり殴りいじめるのですが、淡白過ぎると言うのか、大げさで理由が希薄なんだな。
元々差別と言うのは、国家が決めた制度からはみ出した人を見下すのが、ある程度の規範なので、日本人兵がこのような画一な人ばかり居たとは思えない。
朝鮮人と日本人は結婚できない等の制度があり、
「あの朝鮮は足が速いな」
と言ったとしたら、言葉としての朝鮮は、日本の国家が決めた軽蔑であっても、
足が速いと言う事実は、万人が評価するものだと思う。
やがてソ連軍が満州に侵攻して来て、みんな日本軍として捕虜になるのですが、
今度は、朝鮮人捕虜が日本人捕虜をいじめるのです。
日本人は耐えられなくなって喧嘩になるが、ソ連人の将校は、マラソンを走った車引きの朝鮮人と、オダギリジョーを1対1のタイマンで殺し合いをさせるのです。
長〜〜〜い殴り合いの末、勝った朝鮮人はオダギリジョーを殺さない。
お〜い、何だったんだよ、ソ連人将校の殺せと言う命令は。
大げさに騒いで、何にも無いと言った感じかな。
それから彼ら捕虜は、ヨーロッパ戦線に連れて行かれて、ソ連軍に編入され、ドイツ軍と戦わせられて、
前線から逃げれば、後ろからソ連人将校が撃つ。
う〜〜ん、意味不明、ってか、同盟国ドイツと戦わせれば当然戦意は小さく、味方を後ろから撃つような、外国兵を使って戦力となるのだろうか。
ソ連軍の士気にも影響を与えるだろうし、マイナスが大きいようにも思った。
彼ら朝鮮人を含む元日本軍捕虜達は、雪降る中で山越えして、相手側のドイツ軍へ逃亡する。
最後に残った車引きとオダギリジョーはとっても仲良くなって、車引きは傷ついたオダギリを担いで雪山を超えるのです。
こりゃ駄目だよ。
同胞が死ぬのをわき目も振らず逃げたのだから、今更倒れた人を担ぐのは変でしょうが。
それに、今までいがみ合ってきた2人なのだから、どちらかが傷つき生き残れないような状態になったとしても、よっぽどの理由が無ければ、仲良くなってはいけないようにも思う。
で、2人はドイツ軍人となってノルマンディーに配置されるが、何故か耳の聞こえなくなった車引きとオダギリジョーは、ドイツ語が解り喋れるのだろうか。
更に日本軍陣地に居た時も、ノルマンディーでも、朝鮮人車引きはマラソンのトレーニングを怠らないのですが、
敵の急襲に備え急ぎ陣地を構築する、個人的な時間は無いと思える忙しい中で、1人走らせる無神経さはナンセンスで奇怪で、怖くて無気味。
そのノルマンディーの戦線から、ここに居ると死ぬからと言う事で逃げるのです。
逃亡中に、朝鮮人の車引きは連合軍に撃たれて死に、
死ぬ前に車引きの名で逃げるように言われて、ネックレスを渡される。
戦後、元日本軍人将校のオダギリは、詐欺師のような含みを持った顔で、車引きだった朝鮮人の名でレースに出て走る。
END、と言った映画です。
日本を代表する、顔の割れた元オリンピック候補選手が、名前を変えてレースに出るなんて事は、万に一つもありえない。
アクションシーンはとっても良く撮っているのですが、
なんとなく全編つじつまが合わないので、リアリティが無いと言うのか、人間味が無いと言うか、臨場感が無く迫力の無い面白く無い映画でした。
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韓国の映画は、何時か見た日本の昔の映画みたいなのが多く、
あんまり見ようとは思わないが、それでも時々スゲエと思うのがある。
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これも戦時中の話で、
日本軍に捕らえられた抗日朝鮮人を、街中で吊るして拷問し、命令に従わなければ殺すと脅して、肉屋の主人に、この男の全身の皮膚を剥くよう命令する。
肉屋は泣く泣くみんなの前で皮を剥ぐが、そんな事をしてしまっては生きていけず、自殺して詫びる。
と言った映画があった。
これは凄いと思いました。
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これも大分前に見た映画です。
酔っぱらった若い女が、通りすがりの男を捕まえて強姦する。
男は拒否し、戸惑いながらも強姦されてしまいます。
後日、学生である男の元に、
「あなたの子です、育ててください」
と言う手紙と共に赤ん坊が送られてくる。
身に覚えはあるが、どこの誰が産んだのかは解らない。
それで博打好きの(だったかな?)学生は、捨てる訳にもいかず、苦労しながら子供を育てていくのです。
この子が、親になじんだぴったりの子で、飲み屋街、ギャンブル街をスイスイと明るく暮らしていくのでした。
アメリカから帰った社長令嬢は、留学に邪魔な子を預けた男を探していて、
「この子は私の産んだ子に間違いない」
と名乗り出てくるのです。
女が男を強姦することもさる事ながら、、産まれた子を送って来ると言った、発想の凄さに驚いたのでした。
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これは女刑務所の映画で、
主人公は刑務所で子を産んだのです。
この子が、母である主人公の歌を聞くと、あまりに下手でいつも泣くのでした。
この音痴の母が、いかに刑務所と言えども、毎日を無為に暮らすのは滅入るばかりで脳が無い。
合唱団を創設して、コーラスを歌おうと言い出した。
女看守長は反対するが、刑務所のイメージを変えたいと、所長は賛同して許可する。
主人公の女は、わが子を前に歌い、何とか泣く事がなくなるように特訓です。
罪の重い人たちの集まる雑居房は、それぞれ後悔しても仕方のない人生がある。
中に1人だけ、面会に来た女を追い返す受刑者が居た。
年取った女は、面会を断られるといつも黙って頭を下げて帰っていく。
レスラーあり、大学の教授あり、それぞれに事件の顛末を簡略に説明するが、
黙って帰る年取った女の説明はない。
看守なったばかりであろう若い女は、受刑者の言う事を聞いて走りまわされ、看守長に叱られ反省するが、いつの間にか又受刑者の言う事を聞き走り回っている。
主人公の女の子供は、一定の期間が過ぎると、里親を見つけて育てて貰うことが規則になっている。
母の歌を聞いても泣く事なく、笑うようになった子は、里親に貰われていく。
韓国の合唱大会に、刑務所のコーラスは特別に出演許可が下り、目標に向かって一丸となり励む。
事件にかかわった多くの人が見守る会場で、コーラスは歌われた。
会場には、わが子を引き取った、新しい母も成長した子を連れて来ていて、
主人公の女はその子に、
「名前は」
と聞き、私が本当のお母さんよとは言えない。
いつも黙って帰る、年取った女は演奏を聴き、この時も黙って帰ろうと会場を後にするが、
「逃げるの」
面会を断っていた受刑者が声をかけて叫び呼び止める。
何をやったか知らないが、
「許しておくれ」
と謝り、親子であろう2人は泣いて抱き合う。
コーラスを指揮していた、元大学の先生は死刑となり、映画は終わった。
どのような人生が良いのか判別は難しいのですが、
置かれた環境の中で、いっぱいに生きる事は大切なようにも思います。
いかに作り物とはいえ、この映画はとっても面白かった。
(題名は ハーモニーでした)
若い頃、高倉健の「網走番外地」が好きで、映画が封切られると、無い金を持って映画館に行った事を、ふと思い出したりもしました。