山松ゆうきちのボロ小屋 <立ちしょんべん>

   

     バッハァローよ、アトナ・ピークス山に登れ 2章


 

 バッファローよ


  アトナ ビークス山に登れ



 
山松ゆうきち の小屋のフッター

   2章  ソビエトのゴルバー



モンゴル以来の大国、ソビエト連邦は首脳から末端の職員まで、世界を席巻する2人のチェス騎士、アナトリ― カルポフと、ガルリカス パロフではどちらが強いか、口から舌が出るほどに、泡を飛ばして熱弁を振るう事はあっても、アメリカのキャンプデービットで開かれている、G7の会議の行方などニュースが入れば聞く程度で、大して気にしている様子は無かった。

否、気にしてもしょうがない事で、皆が気にしていない風を装っていた。

もしも核弾道付きの中距離ミサイルパーシングUを、西側が配備する事にでもなれば、ソ連が東欧加盟国に配備している、核弾道中距離ミサイルRТ―21Mパイオニア(SS―20)の威力は半減され、広島の原爆の3300倍もあると言われている超大型水素爆弾、ツァーリ、ボンバの絶対的脅威も半減しかすんでしまう。

上級政治局員ミハテヌ ゴルバチンコ(仮名)は、これは国難であり、国家の危機を憂慮し、いつもの春に鳴くひばりのさえずりような饒舌は、土砂降りの中の小鳥のように、口を閉じて腕を組んで思案していた。

「どうした、元気がないな、心配事でもあるのか」

隣に座る同僚イヤナンデス(仮名)は、心配して話しかける。

「体調がおかしい」

彼は浮かぬ顔で首をひねり、大きな痣のある額を押さえ、上司に3日間の休暇を出して家に帰った。

もはやじっとしている事が出来ず、かねてから用意していた1,5メートルもある大きな袋とスーツケースを持って、シベリア鉄道で1人ウラジオストック行きに乗った。

途中クイビシェフ駅で降りて、閑散とした駅前を行ったり来たりしながら路地を曲がり、壁に寄り添い、吸った事のないタバコに火を点けて周りを見渡し、誰にも後を付けられていない事を確かめてから、ホテルへ入って1泊する。

次の日の朝早く、口髭とレンズなしの眼鏡と帽子をかぶって、右手にステッキ左手には大きな荷物袋、スーツケースは脇に挟み、まるで別人になったかのように変装して、シベリア鉄道でモスクワに引き返す。

更に用心のため鉄道を乗り換え、レニングラードまで足を延ばし、名もない安宿に一泊して、再度鉄道を利用してモスクワに戻る。

「このままでは、アメリカとの均衡は保てなくなりソビエトはじり貧になる、今ならまだ間に合う」

彼は病床に伏すソビエト連邦首相、ブレナイ ネジレンコン(仮名)を極秘で訪問し、何としても説得しなければならないと思っていた。

綿密に計算された彼の行動は、いつも完璧で自信ある行動だったが、

ネジレンコンが入院する病院の前で、銃を持った警備の衛兵を見て天を仰いだ。

「ああ、何て事だ」

変装したままでは中に入れない、無理に入ろうとすれば大騒ぎになり、自分を証明するのに厄介な手続きをすることになる。

万全で周到な用心深さ、頭脳の明晰さは政治局員で群を抜いていると自負していたが、どんなに優秀な人間でもたまにはミスもある。

彼は上目横目に人影を見て、誰も居ない路地に入り、建物の陰で髭と眼鏡を取り、何のためにシベリア鉄道に乗ったのだと、無駄な労力を悔い失敗を自問した。

「俺も人の子だと言う証明か」

いつものスーツ姿に戻って、何事もなかったように衛兵に身分証明書を見せる。

「内密に首相にお会いしたいと思い来たのです」

そう言って胸を張り、許可を待って病院に入った。

銃を装備した警備員に案内されてエレベーターに乗り、長い廊下を曲がる。

そしてまたエレベーターに乗り廊下に出ると、

突き当りの病室の前にも、警備が2人居て直立不動の敬礼をする。

ゴルバチンコが帽子を取ると、まるで予見していたようにドアは開き、医師やら付添や看護師たちは頭を下げて、そそくさと病室を出て行く。

世界一を誇る軍事国家の首相が入院する病院である、エレベーターや廊下の角など、モニターカメラが過剰と思えるほどに設置されていて、外来客の足取りや行動に見落としは無い。

室内には1人、デップリとよく肥えたブースカ夫人(仮名)が、精一杯のにこやかな顔を見せて、ゴルバチンコを迎えた。

ソビエト連邦の首相、兼共産党書記長、兼ソビエト連邦元帥ブレナイ ネジレンコンは、肩書と共に勲章が大好きで、受勲者の名簿を作り自分が受賞すると言った、世界で例を見ない趣向を持っていた。

ソビエトのみならず、同胞国のチェコやハンガリー等から送られた、名誉ある勲章を合わせると100近くにもなり、

それらは病室にかけられた軍服に、1つも漏れることなく着けられ飾られている。

また病院での暮らしが長く続いたが、権力を手放す事など考えても居なかった。

首相と夫人は、共にプレゼントが大好きで、汚職大国ソ連の一役を担っても居た。

持ってきた1,5メートルもある大きな布の袋を、ブースカ夫人に渡すと、

彼女は嬉しそうな笑顔を見せて、袋の中をのぞき、出してもいいかと仕草で問う、

ゴルバチンコのどうぞと言うジェスチャーを見て、袋の中に入っていた赤い紙の袋を取り出すが、密封されていて開け口が無い。

端から破こうとするが、ロシア製の紙は厚くて破けないので、棚からソビエト製の大きな鋏を持って来るが、切れ味が悪くようようとギザギザに刻む。

中には無色の布袋が入っていて、上に付いている出来の悪いロシア製のファスナーを、ザシギシさせて開くと黄色い紙袋が出て来た。

端上からもう一度鋏でギザギザ切って開封すると、また無色の布袋が現れ、ファスナーを開くと、今度は青い紙袋が現れた。

再々度切れの悪い鋏で、てっぺんを切って開くとまた無色の布袋が出て来た。

ブースカ夫人は、大仰に肩で息をしたが、嫌な顔はせずにこやかにワクワクしながら、ファスナーをザシギシ開き、

ようやく袋からは、折りたたまれた大小の2枚のウールの布が出て来た。

情報公開のないこの大国では、権力を持つ者あるいは大金を持つ人たちの間で、何時の頃からか、高価で大事な物は何重にも密封する習慣が、文化でありステータスとして出来上がっている。

「まあ素敵。足りなくなって買おうと思っていたの」

脳天から突き抜けるような高い声を病室に響き渡らせ、少女のように胸に手を当てて、踊るように一回りして喜び、彼女は早速に、ネジレンコンに掛けてある毛布をはがして、プレゼントされた新しいウールと交換した。

もう一枚の小さい方のウールは水に浸して丁寧に折り、見違えるほどに痩せ細って横たわる、老翁元帥の額に乗っている布と取り代える。

取り代えた布で、ベットの鉄枠を拭いて、流しへ持って行って濯ぎ、

洗面器の中の水を捨てて底を綺麗に拭き取ってから、流しの台を拭き、はたと思い出したように、ゴルバチンコを見て、

「良い布を使うとよく落ちるわ、ありがとう」

そう言って首を傾けてニッコリと微笑む。

老翁元帥ネジレンコンは、覇気のないしわがれ声で、天を向いたまま ボソッと独り言のようにつぶやく、

「農民出身の女は品が無い、この前は壁を拭いて、床を拭いて、靴を拭いた布を頭に乗せた。ワシの頭にはいつも雑巾を乗せられているようだ」

ゴルバチンコには、何を言っているのか聞き取れなかったが、夫人には解かったようだ。

「ついこの前まで、お前は応用の効く始末はいい妻だ、ソビエト一の賢女だって言っていましたのよ。もういい歳なのに、些細な事で子供みたいな駄々をこねるの。大丈夫よ、ナプキンはいつも綺麗に洗ってましてよ」

甲高い声は、小さくつぶやいても脳天に刺さる。

「き、緊急の用とは何だ。こほっ、前の書記長フルチンション(仮名)は病気で引退した。だが私は病気ではない、少し疲れただけだ。し、しん、心身ともに極めて順調だ、元気に回復している。今朝も8枚の黒パンと、こほっ、大きなジャガイモを10個も食べた、くふ、くっ」

傍に腰掛けた夫人は、目をつむって頭を左右に振り、顔の前で手を振って、両手で小さな四角を作って指を1本出して、片手で半分に切る仕草をする。

パンは半枚だけ食べたとパントマイムで説明して、

右手の親指と人差し指を丸めて小さな輪を作って、指を1本出す。

小さなジャガイモは1個食したとゴルバチンコに教えた。

「くっ、ほ、ら、らい、来月には退院できるだろう、さ、さん、山積している仕事を片づけたら、エ、エル、エルミタージュ美術館で目の保養でもして、黒海に足を延ばしてひと泳ぎするか、ふほ、ごほん、ぐご 」

「アメリカで開かれているG7の会議では、パーシング2の配備が討議されています」

「、、、、ふっん、、、、こ、怖くはない、いくら策を弄しても、我が国の優位は変わりない、ほ、ぐふ」

「しかし、中国との紛争を抱えている我がワルイシャワーの地形は、敵に囲まれた陣形で極めて不利かと思います。

そこで相談ですが、日本に北海道北の4島を、無条件で渡してはどうでしょうか」

ネジレンコの目が大きく開き、目はゆっくりとゴルバチンコを見た。

「グフッ、、、く、、け、な、何、何を、ごっほ、くっ〜ほっ」

信じられない言葉を聞いた風に驚いて、ひときわ大げさに咳をすると、鼻の穴の1つから長い鼻汁が飛び出した。

夫人は急がず騒がず、額にかかっているウールの布で、ロウソクのように垂れた鼻汁を拭きとり、2本の指で摘まみ流しへ持って行って濯ぐ 。

「くほっ、そんな事を言うために、わざわざここに来たのか、ぐっほ、ぐほ」

「これまでソビエト連邦の宇宙開発はアメリカを凌ぎ、人工衛星、有人衛星、月面探査も我が国が先んじ、ルナのオービター計画では、月の裏側の地図も作りました。

また5か年計画の成果で、農業も飛躍的に増産され、軍事力も化学も経済も、アメリカを凌いでいたように思います。

それが今年、CIAが発表した統計が事実なら、GNPは日本に抜かれて3位になり、このままではやがてドイツにも抜かれ、西側との経済格差は圧倒的なものになるかも知れません」

「ふっん、ぐふ、日本など、たった30年ほど前に、戦争で焼き尽くされた国だ。我が国が屁をしたら、飛んでいきそうな小さな国に、な、な、なんっの、何の理由があって4島を渡すと言うのだ、どんな価値があると言うのだ」

「日本が世界を動かしているからです」

「ひょっ、ふひょ、ほっほっほ、ぐほ、げほっ」

さっきより大きなロウソク鼻汁が、2つの穴から飛び出して口をふさぐ、

「あらん、今日はお元気です事」

ブースカ夫人は、手慣れたようにロウソクを拭き取る。

「ア、ぐふ、アア、アメリカの尻にくっ付いた絆創膏のような国に、そんな力があるとは思えない、くだらん。ワシは病気療養中で疲れている、安静が必要だ、そんな話は聞きたくない、千島も樺太も我が国の領土だ、帰れ、帰ってくれ」

「日本は資本主義の優等生です。アメリカが強権を出して、イギリスと日本がイエスと答えて世界を席巻し牽引しているように思われます。イギリス並みとは言えなくとも、西側の結束にくさびを入れて、せめてフランスドイツ並みにアメリカとの距離を取らせるのが賢明です。それは我が国にも大きな利のある事かと思います」

ネジレンコンは天を向いて唇を震わせ、額のウールを手に持ちポイと投げ捨てた。

夫人は笑みをたたえながら、捨てられた布を拾って洗面台で濯いで絞り、ネジレレンコンの額に乗せるが、再々々度震える手で布を掴み投げ捨て、胸にかかっているウールも剥ぐ、

「あら、貴方、頂き物ですよ。こんな良い布を粗末にしてはいけませんわ」

夫をたしなめながらウールを掛け、投げられた布を濯ぎに行く。

「この間、日本の紙のカップに入ったヌードルを食べましたの、お湯をかけると3分で出来ますのよ、とっても美味しくて便利で安いの、あなた食べました?」

ゴルバチンコは首を振って、まだ食べていないと答える。

「き、ぐふっ、ぎ、君は危険な事を考えている、シベリアに送られたいのかね。あそこは今も昔も寒くて、行ったら半分は返ってこないと言う噂を、た、たし、確かめてみる勇気はあるのかね」

「いえ、ですから極秘にご相談に上がりました。ここだけの話として胸に収めてください。日本は急速に進歩しています、流刑者の少なくなったシベリアの開発も、日本と共にやっていけば、アメリカにベッタリ食いついた絆創膏も少しははげるでしょう」

ゴルバチンコの言うそれは、綱紀粛正を行い、外交での緊張緩和を警戒するドクトリンの否定だった。

ロシアの赤鬼と言われるネジレンコンは、興奮して呻くが力は無い。

「きほっ、き、君を、政治局員に推薦したのはアンドレポンポか、くほっ」

「我が東欧の同盟国と同じように、日本はアメリカに追随した、極めて弱小国のように見えます。日本の外交はどのような案件にも、首を横に振る事はありませんが、これが大きいのです。アメリカの主張に日本が頷けば、それに沿って世界は動いて行きます」

「何を笑止な事をぬかすか。アメリカは2発の原爆でジャップを黙らせたが、我が国なら半年で原爆は1発で黙らせてやる。ゲホッ、くしゃみをすれば飛ぶような国だ、ゲ〜ホ、ゲホッ」

「あ〜らん。あなた、今日はホントに、ホントにお元気ね、くしゃみを何回もしてよく喋りますわ、ほほほ、いつもは死んだように動かないんですよ、ほほ」

じりりりりり〜ん、じりり〜ん。

病室に取り付けられている3台の電話が次々に鳴った。

応対に出た夫人が、

「政治局から貴方に御用よ、緊急ですって」

受話器を持って来てネジレンコンの耳に付ける。

「ぐふっ、ぐふ、私だ、ぬ、ぬぬ、西側はパーシングUの配備が決めたか。ふっん、想定内の事だ。と、東欧の軍備は安泰だ、大して騒ぐことでもない。ごほっ」

彼は次に来た外務省の電話にも同じように答え、

「ぴ、ピーマンはボケている、正気の沙汰ではない」

と付け加え、

3台目の電話には、

「ポ、ポンポン君、あ、あ〜、安心してくれ、ソビエトは鉄壁だ。そ、ほ、そ、それよりも、ゴルバチンコ君のシベリア行きを、ソ、早急に、けん、検討してくれたまえ、う〜くは、こ、ほ」

身体は瘧のように震え、目は雷神のごとく怒りに燃えていたが、

ブースカ夫人は、慌てる事も無く、急ぐ事も無く、子供をあやすように夫の身体をさすり続けた。

やがて首相は静かに目を閉じ、ピクリとも動かなくなる。

「あら、死んじゃったかしら」

そっと耳を寄せて様子をうかがい、

「まだ生きてますわ」

彼女はため息をつくようにささやく、

「ボケているのは貴方ですよ」

ゴルバチンコは無駄な訪問であったことに落胆したが、それでも丁重に頭を下げた。

「こんな病気になっても、この人は、ずっと世界の平和を考えているのですよ。アメリカってホントに意地悪ね、世界を乱して、うちの人を苦しめるのですもの」

ドアを閉める時、夫人の嘆きつぶやく声が聞こえた。

inserted by FC2 system