山松ゆうきちのボロ小屋 <立ちしょんべん>

メジロ


 

        メジロ

春4月から、府中刑務所東門の警備に立っている。

「ツイー、ツイー、ビチビチビチ」

オスのメジロがかなりいい声で鳴いていた。

とくに午前中と夕方によく鳴く。

ほどなくもう一羽のオスが居る事がわかる。

「ツイー、ツイー、ツイー」

友か兄弟であろうか、毎日のように2羽は鳴き張り合う。

日本一大きいと言われる府中刑務所は、おおよそ400メートル4方ぐらいの四角い敷地の中にある。

車両は国分寺街道から晴見門を曲がって、東門を通り、受付のある表門から入る。

晴見門から俺の立つ東門まで100メートルほどの道路が、一般住宅を裂くように、敷地が凸っと飛び出していて、ここの道路が改修される事になった。

車や人の出入り口は東門だけなのですが、職員の住む官舎(アパート)沿いに、ABCDEと臨時の門が5つあって、出入りはC門に移ったのでした。

「トォーン、トォーン」

C門の近くに生えるケヤキの木からは、メジロのメスの鳴く声が聞こえた。

「トォーン、トォーン」

「ツイー、ビチビチ」

オスが来てメスと鳴き合う。

そのうちメス同士が鳴いているのが聞こえた。

ここにはオスが2羽いて、メスも2羽いるから、4羽のメジロが居る事になる。

東京に来て、いつメジロの声を聞いたか覚えていない。

あまり関心が無かったのだろう。

住んでいる西多摩は、東京でかなり奥まった地になる。

家に居てメジロの声を聞く事は無いが、散歩したり公園を歩いたりすると、野鳥に混じってメジロの声が聞こえた事があり、ここにもメジロは居るのだなとは思っていた。

警備の仕事を始めた頃、横浜線の中津田駅からバスに乗って、ビバホームに通っていた時は、メジロが鳴きながら飛んでいく声を聞いた。

多摩川の競艇場でも聞いたように思うが定かではない。

永田町の最高裁判所では、ほとんど毎日メジロの声がした。

杉並の新築の学校を警備した時も、繁華街近くで木はまばらにしか無いにもかかわらず、メジロが飛びながら鳴く声を聞いた。

山の中奥深くに居るだろうメジロが、不思議にも東京中どこに行っても居るようだった。

田舎でメジロを飼ったのは、小学2年か、3年生の頃だったろうか。

村の近所の上級生から10円で買い、ボロイ鳥籠をおまけに付けてくれ、

餌はサツマイモで、下に糞が溜まったら、鳥を逃がさないように下底の紙を取り替える事を教えてもらう。

菜っ葉を刻んで、スリコギで潰して青汁のようにした餌も与えた。

そのうち、自分のメジロはメスだった事を知る。

良いオスは、

「ツイー、ツイー」

と高い声で鳴き、

「ビチビチビチ」

張り続ける。

村には俺以外に、声が低く、トォーンとだけ鳴くメスを飼う少年は居なかった。

「オスは20円だ、町で買うと50円以上はするでぇ」

5円か10円持つと、すぐに駄菓子かアメを買っていたから、50円どころか20円は大金だ。

メジロを飼っている上級生は皆、山にメジロを取りに行く。

俺もオスが欲しかった。

山に行って、早くオスのメジロを取りたかった。

モチの木を教えてもらい、

「あばさん(おばさん)この木の皮削ったらいけんか」

村中にあるモチの木を探して皮を削り取り、石で叩いて潰して、粘着するネバネバを取り出して鳥モチを作るのだが、量が少なく、鳥に付いても飛んで行ってしまいそうなくらいにえらく伸びる。唾を付けてもひっついて始末が悪い。

上級生は俺の作った鳥モチと、町で買った固くて唾を付けると指に付かない、白い鳥モチと、同じ量くらいを交換してくれた。

メジロを取りは、籠に風呂敷を掛けて外が見えないようにし、

黒く熟れたウドの身や、椿の花などを持って山の中に入る。

30センチほどの小枝を2本か3本切り、鳥モチが手に付かないように、口に入れて唾をつけて小枝に巻く。

引っ掛けた鳥籠の近くに、鳥モチをわたして片方に椿の花を差し、5メートルから10メートル離れた木陰に隠れて見守る。

オスはやはりよく鳴き続け、比べてメスは、低い声で単発にしか鳴かない。

メジロはおとりと鳴き合いながら寄って来て、仕掛けた鳥モチの枝に足がつくと、脱兎のごとく走って行き、バタバタ騒ぐ鳥をモチから外す。

いつも行く捕獲場は決まっていて、20メートルから100メートルも離れて、鳥籠を置くのですが、暇なときは傍に寄って話をしていたりして、かかったメジロを外すのが遅れると、ベッタリと羽にモチが絡み、バサバサに羽が抜けて、鳥に付いたモチや、モチに着いた羽を取り除いて始末するのが大変だった。

待望のオスを手に入れ、やっとこ皆と同じようにメジロ取りが出来ると思っていたら、

「何でメスを持って来んのだ、お前の持っているのはメスにしてはよく鳴くし、オスばっかりじゃしょうがないだろ」

と言われ、それからはメスを持って行くようになった。

山の中の昼間は、閑散として山の鳥も籠の鳥もほとんど鳴かない。

小さな笹や、ジャングルのような密生している小枝を払いながら、メジロの鳴き声を探して山中のてっぺんに上り、向こう側の村近くまで下りて行く。

小川の近くの谷底まで下りて行った事もあった。

2羽3羽と寄って来ても、かからない方が多い。

鶯や、シジュウカラや、ゴジュウカラ、山雀は体長が同じ位で、小枝の中を一緒に飛び回る。

鶯が、

「ホーホケキョ」

と鳴くのは、春の短い間で、秋に取っても嬉しくないので逃がした。

冬の雪が積もった日、親父について山近くの田んぼに行った時は、10羽ほどのメジロが、雪をかぶった木から、小川に下りて水を飲んでいた。

マツタケを取りに行った時も、湧水がチロチロ流れてこぼれる山道で、メジロは目の前に下りて来て水を飲んでいた。

不思議な事に、上級生たちは中学に行くようになると、メジロを取らなくなり、同級生や俺より小さい子らは、誰も山に行く人が居なかったが、俺は朝早く起きて1人メジロを取りに行ったのです。

俺も中学生になると、何故か山にメジロを取りに行く事はなかった。

思うに、村で最後のメジロ取りの小学生は俺だったのだろう。

10月いっぱいで、晴見門から東門の道路工事が終わり、C門から通常の東門の警備に戻る。

晴見門までの、うっそうとした銀杏の並木は無くなり、見晴らしの良い新しい道路に変わっていた。

「ツイー、ツイー、ツイー、ビチビチ」

メジロのオスは、変わりのない声で鳴く。

寒い1月になって、週に何度か南門の警備に回ると、

大門前には駐車場を囲むようにつつじが植えてあり、歩道まで続いている。

10メートルほどの一角に、つつじの2倍ほどの背丈で、南天のような赤い身がびっしりとなっている木があった。

ピラカンサスと言うらしい。

この実をムクドリだろうか、ハトやヒヨドリより小さな中型の鳥がついばんでいる。

最初は10羽ぐらいだったが、

南門に行くたびに、20羽、30羽と増えて行き、

有に100羽を超えるほどにも集まり、赤い実の下には、黒い虫を敷き詰めたように、フンがびっしりと落ちていた。

「ツイー、ツイー」

「トォーン、トォーン」

ムクドリに近づかないように、ピラカンサスの木の中からメジロの声も聞こえる。

南門の屋根に停まっていた100羽以上の鳥が、ピラカンサスの木をめがけて一斉に下りると、声だけで姿の見えなかったメジロが、中から逃げるように出て来て駐車場の広い水溜りに集結した。

数えると8羽いた。

冬の田舎の田んぼの小川近くにいたメジロ以来の大軍だ。

1月も半ばを過ぎると、

「チー、チー、チー」

「ツツーチョ、ツツーチョ、ツッチョ、ツッチョ」

メジロとカラスとムクドリくらいしかいなかったのに、東門近くの木や電線の上から、刑務所の高い塀の上や、民家の木などに、シジュウカラや山雀などの小鳥からハトまでやって来て、名も知らぬ色々な鳥が鳴くようになった。

「ジャッ、ジャッ、ジャッ」

鶯もやって来て鳴くが、まだホーホケキョとは鳴けないようだ。

「ツイー、ツイー、ピチピチピチ」

「トォーン、トォーン」

府中刑務所は都心から離れていて、そう林や森があるわけでは無いのに、ここにはメジロが住み着き、1年中変わらぬ綺麗な声で暗くなるまで鳴いている。

最高裁でも毎日鳴いていたから、案外と行動範囲は狭く、何本か木があれば住み着く条件は待たされるのかも知れない。

雀は民家の近くでないと、暮らせない鳥だと聞いた事がある。

子供のころは、毎日毎日、チチパパと家近くで鳴いていた雀が、東京では以外にも少ないように思う。関心がないから、近くでバタバタ飛んでも、騒がしく鳴いても気がつかないだけかも知れない。

山奥で、あるいは人里離れた林や森でしか暮らせないと思っていた、ひ弱そうに見えるメジロは、カラスのように、山でも町でも暮らす事の出来る万能な鳥なのだろうか。

時には、朝とか夕にしか、あるいは1日中声の聞こえない日があると、

天敵が近くに居るのか、餌を取りに行っているのだろうか。

そんな事をチラッと思ったりして警備を終わる。

刑務所から北府中駅まで、徒歩で5,6分だろうか、

駅近くに小さな公園がある。

「ツイー、ツイー、ツイー」

「トォーン、トォーン、トォーン」

逃げて来たのか、夜まで働いて餌を探しているのか、辺りは相当暗くなっているにも関わらず、オスとメスのメジロは時々に鳴いている事がある。


inserted by FC2 system