山松ゆうきちのボロ小屋 <立ちしょんべん>

目次


ある高名な大先

生2 (奥さん

倒れる)



宇宙人はいない

自己紹介

ロクロウと言う名のインド人 1

ロクロウと言う名のインド人3

ロクロウと言う名のインド人 4

横着者

病院

ある高名な大先生

インド、コルカタで漫画教室

天文、タイムマシーン




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中篇ドラマ 連続四回

    ロクロウと言う名のインド人 (2回目)


私の勤める関東発条は、六十人前後の従業員を抱える中堅のバネ会社で、仕事の七割は大手の東京発条からの注文でした。
製品には自信がありましたが、クオリティーの高いバネを作るには、資金とノウハウが足りませんでした。
受注も販売も東京発条にお任せでしたが、東京発条には丸星鉄鋼と言う子会社があり、そこを通しての仕事が多く、孫会社のような存在で先に希望のない会社だったのです。
バブルに向かって景気が良くなり、日本では大手二社が、バネの仕事を分け合っていて、成長の見込みは無く、この機に中国へ進出して飛躍をめざす事になったのですが、書類申請の作成中に、名古屋の大手中部発条が、一足先に中国へ行く事が解かりました。
大手に出て来られたら、たちうち出来ないのは明らかです。
中国は広大ですから、中部発条が上海なら、わが社は北京や南京へ行こう。すったもんだの末、結局中国への進出は中止になり、一段ランクを下げ、急遽インドへ行く事に決定したのでした。
営業係長の下田さんと、旋盤の柿本さんが、先にインドへ行っていたのですが、人手が足りないと言うので、一年ほど後から私が追加されたのです。
二十五歳の独身で、家族がいなくて若いから、英語や現地の言葉に慣れるのが早そうだというのが、選ばれた理由のようで、給料は出張手当込みの五割増しと告げられました。
インドに関する知識はほとんどありませんので、急いで書物を大量に買い、彼の地へ向かったのです。

空港には支店長の下田さんが、通訳を伴って迎えに来てくれ、
「ご苦労さん、商談に来ているんだが、相手が出かけていて現れんのだ、全くいつ戻るのか解らんが、明日まで待ってみる事にした、悪いが会社に行くのは明日にしてくれ」
約束などあって無いのがインドだ。そう言われて、ホテルに一泊したのです。
インドへの首都デリーは、埃っぽくすすけたような町といったらよいのでしょうか、そこらじゅうに犬や牛の糞が落ちていて、えらく汚い町で、行きかう人の顔は黒く、ほとんどの女性は、サリーと言われる一枚布の衣服を巻きつけていました。
彼ら彼女らは、西洋人風な顔立ちをしているのですが、背は日本人よりかなり低い人が多いようで、オートリクシャーと言う、三輪のタクシィーや、人力の自転車タクシィーが目につき、何よりも、乞食の多さは半端ではありませんでした。
下田さんと通訳の人とバザールへ行ったのですが、食べ物が欲しいと、子供を抱えた女性がしつこくついてくるので、持っていたコインを何人かにあげたのです。
次から次へ、子供を抱えた女性がゾロゾロ出て来て、アッチコッチから子供の乞食もやって来て、大勢に囲まれてしまい、ニッチもサッチも動けなくなり困ってしまったのです。
「チェイ、シッシッ。乞食沢山イマス、キリガナイネ」
通訳の人が来て追い払ってくれましたが、とても怖くショックな出来事でした。
外はうんざりするほど暑いし、ヒンディー語は喋れないし、とんでもない所へ来させられたものだと思いました。

会社は、デリーから北東へ200キロも離れた、ハリヤーナー州のハタハリと言う町にありました。
かなり大きな駅でしたが、電車はホームから外れて止まり、車両から飛び降りたのです。
下田さんは改札を通らず、そのまま外に出たので、
「切符は渡さないのですか?」
「改札を通るのは面倒だ、見つかったら切符を見せればいい。大した金ではないが、この国で煙管をしようと思えば難なく出来る」
意外な事を教えてくれました。

どうしてこんな田舎町を選んだのか解せません、多分経費を少しでも安く上げようと思ったのでしょう。
デリーが第二次世界大戦前か大正時代の日本なら、ハタハリは明治か江戸時代と言ったら言いすぎでしょうか。
繁華街はどこからこんなに出てくるのか、人は半端なく多いのですが、地べたに黒ずんだバナナを四、五房おいて売っていたり、歯を掃除するらしい、箸ほどの太さで二十センチ位の細い棒を、二、三十本並べて売っていたり、こんなわずかばかりの物を売って、商売になっているのかと思えるような露店が数多く出ているのです。
鍛冶屋の町らしく、店ではトンカントンカン鉄を打ち、人力の大八車が荷物を積んで運んでいるような、えらく昔っぽい町でした。
私が行った頃には、会社はほとんど出来ていて、現地で雇った八名の従業員に、アレコレ指導しながらネジやバネや釘を作っていました。
通訳二名と、私たち日本人三名、総勢十三名の小さな会社です。
下田さんも柿本さんも、私をロクちゃんと呼びましたので、現地の人も真似てロクちゃんと言っていたのですが、若い十代のインド人に、ロクちゃんと呼ばれるのは良くないと言うので、途中からロクロウさんとかロクさんに変わりました。
日本人は、5階建てのアパートに、それぞれバス、トイレ付きで3Dkの部屋を一つずつ借りて住み、月曜から金曜までの朝と夕方に、掃除と食事の用意をしてくれるお手伝いさんが来ていました。
雇ったお手伝いは、ダンタンと言う小太りのおばさん一人なのですが、いつもカウテリアと言う若い女性を連れて来て、二人でやってくれていました。
時々、クリシュナと言う十二,三歳の少女が、もう一人加わって、三人でボソボソ、ワイワイしながら掃除したり、料理を作ってくれていたのです。
女性はいつも薄い布を肩にかけていて、男が来るとそれを頭巾にしてかぶり顔を隠すのです。
雇ったおばさん以外の二人は、私が近づくと急いで布で頭を覆い、地面を見たまま隠した顔を上げる事はなく、返事もしませんので耳がきこえないのかと思ったほどです。
ヒンズー教は身分制度がやかましい宗教で、彼女達はカーストの低い不浄の女だから、主人の顔を見てはいけないと言う事でした。
ですから食器を洗わせても料理は作らせません。
食べ物に触ると、ダンタンおばさんが飛んで来て、えらい剣幕で怒るのです。
そのダンタンおばさんが、自慢して作る料理はいけません。
小麦粉をこねて焼いた、主食のチャパティやナンは食べられます。
香辛料と唐辛子を少量入れた混ぜご飯と言うのか、チャーハンらしき物も悪くない。
チャーイと言うお茶も美味しく飲めるのですが、おかず類ははおしなべて、これが人間の食べ物かと、首をかしげるくらいまずい物が多く、とても食べられたものではありません。
旨みの元である、肉や魚や砂糖は使わず、何でもかんでも全てにカリーと称し、大量の香辛料と唐辛子が入っているのです。
冷蔵庫が無い事と、熱い気候は物を腐らせるのが早く、長い歴史の中で培われた生活の知恵だと思いますが、素材を壊さずそのまま食べれば美味しいのに、何故に、ナスやピーマンや豆ををすり潰して混ぜ、大量の香辛料と唐辛子を入れるのか、中々理解に苦しみます。
いかにまずくとも、食べないわけにはいかないので、何とか喉に押し込むのですが、どんなにお腹が減っていても、腹三分目位も食べますと、それ以上は喉を通りませんでした。
日本から持って行った、味噌を使って、味噌汁を作ってもらうのですが、それにも大量に唐辛子を入れるので、
「どうしてこんなに辛くするのか、何度言ってもわからんかな」
柿本さんは怒って、台所の流しに捨て、こんな風に作るんだと教えていました。
ですから、週に一度は柿本さんが食事を作り、三日に一度は、一軒だけある高級レストランへ行き、辛さを押さえ香辛料の少ない物を食べて栄養を補給したのでした。
幸いにも、私は一人暮らしだったので、そこそこの料理は出来ます。
おかずや汁物を多めに作り、冷蔵庫に入れて次の日も食べるようにしました。
一緒に食べないかとダンタンおばさんに言ったら、嬉しそうにニッコリ笑い、私達のテーブルに座りますが、カウテリアには、別の低いテーブルに座るように言い、クリシュナへは、床に食べ物を置いて食べさせるので、
儀式と言うのか、あまりに時代がかった芝居を見ているようなので、私は吹きだし笑ってしまいました。
「カム、サブローグ、イート(おいで、皆で食べよう)」
覚えたてのヒンディー語で彼女達を誘うと、おばさんは目を吊り上げて、同じテーブルに座る事を断固拒否し、孤高のベジタリアンらしく、肉の入った物は口にしませんでした。
何故三人ものお手伝いが来るのか、柿本さんに問いましたら、
「インド人は安いから、一人分で三人が雇えるんだ」
そう言いました。
ダンタンおばさんには、月に二百ルピーを払っているのですが、二人のお手伝いからはお金を貰っていないと聞き、女性は仕事が無いから、暇で手伝いに来ているのだろうか、それとも身分が違うので、ただ働きをさせられているのだろうかと思ったのでした。

土曜日の夕方でした、お手伝いの少女が、部屋の前に座っていたのです。
「クリシュナ、ナマステー(こんにちは)。アオル、アープカ(元気かい)」
遊びに来たのかと思い、気軽に声をかけ、ドアを空けて中に入れました。
頭からかぶっている布を取るように言ったのですが、彼女は首を小さく振って取りませんし、
私が頭巾を掴んで無理やりはがすと、恥ずかしそうにうつむいて顔を上げません。
何か食べるかとお菓子を出すと、遠慮がちに一つ食べましたが、それ以上は手を出しませんでした。
ならば、日本からもって行ったゲーム機、スーパーマリオンを出して遊んでみたのですが、それほど興味があるような素振りは見えませんでした。
やる事が無いので、柿本さんの部屋へお邪魔したのですが、カウテリアが汗をかいて出て来たのでビックリしました。
「何せ、ここは他にすることが無いんだよ」
それから少女は、二、三度私の部屋に遊びに来ました。
柿本さんの部屋に行くカウテリアについて来て、事が終わるまで外で待っているのだと思い、中に入れてあげたのです。
布をかぶって顔を隠す事もなくなり、時々しなを作って微笑んだり、遠慮がちに私の手や肩に触るのは、兄か親のように甘えているのだろうと思っていました。

「俺らは所詮外部の人間だ、油断するな、奴らを信用するな」
口癖のように言っていた柿本さんが、
「お金が無くなった、誰が取った」
と、ダンタンおばさんに詰め寄ったのです。
部屋に入ったのは、お手伝いさん達だけでしたから、他の人が取ったとは考えられません。
「この人は、カーストの低い卑しい女で、平気でチョール(泥棒)する」
おばさんは、カウテリアが取ったのだと言い、
カウテリアは、クリシュナではないかと激しく主張し、
クリシュナは何も言わず、ただうつむいているだけです。
いつも家来のように連れていて、仲がよさそうに談笑しているのですが、カウテリやクリシュナがダンタンに逆らう事は決してありません。

大人しい少女が取ったとは、到底思えないので、会社に行き、通訳に来てもらって事の成り行きを話しました。
現地社長の下田さんが、日本語のうまい方の通訳を、デリーを中心にアチコチの町へ商談に連れ回っているので、現場にはもう一人通訳がいるのですが、これが又いいかげんな通訳で、彼の喋る日本語の半分は解りません。
半分で片言しか解らなくとも、
「洗濯屋と並んで仕事をするのは嫌だ、他の作業に変えてくれ」
等と言った、ごたごたや揉め事があったりすると役にはたつのです。
話を聞いた通訳は即断し、大きな声で激しく少女を責め立てましたが、少女は取ったとも取らないとも言わず、やはりただうつむくばかりなのです。
無くなったお金は、二千か三千ルピーで、日本円にして一万から一万5千円くらいでしょうか。
私たちが雇っているインド人の給料は七百から八百ルピーでしたから、インド人にしたら大金です。
「お金は出てきませんね」
「ああ、悪いのは全部俺だ。うかつだった、これからは気をつけるよ」
柿本さんは言い、
「カへナー ナヒーン(言わないで良い)。サブアント(全て終わり)」
通訳とお手伝いさん達に告げ、この事は終わりにしたのでした。
終わりにしたのですが、
「お手伝いの人達を、このまま雇っている訳にはいかないんじゃないんですか」
柿本さんに言いました。
「カウテリアに騒がれると困るな、抱いてしまってるからな」
頭を掻いて苦笑いをしたのでした。

あの日少女は、部屋の前で、膝を抱えうずくまって待っていました。
私が近づくと、顔を上げたクリシュナを見て、ドキッとし立ちすくんでしまいました。
黒ずんだ目が潰れるくらいに腫れ、鼻や口元から血がにじんでいたのです。
「キャー(何)、どうしたの?。カハーン(どこで)、ファイト?」
つたないヒンディー語で聞きましたが、少女は下を見たまま何も答えません。
「ホースピタル、ジャーナー ハエ(病院へ行きますか)」
クリシュナは、行かないと小さく首を振りました。
部屋で応急に傷の手当てをし、お手伝いで雇っているダンタンに電話をかけようとしたら、私の腕を掴んで首を振り、悲しそうな目をして、大粒の涙をこぼしたのです。
誰かに酷く殴られた事は解るのですが、何があって、どうして殴られたのかは解りません。
何を聞いても押し黙り、首を振るばかりで答えてくれないのでした。
柿本さんの帰りを待って相談しました。
カジュラホーに出張していた、支店長の下田さんも帰って来ていて、とにかくお手伝いのダンタンに、電話をかけて見るしか策は無いと言う事になったのですが、
「ナヒーン(やめて)」
クリシュナは小さな声で叫び、かたくなに頭を振るばかりです。
「そうは言っても、何とかしなきゃいかんでしょうが。どうします」
「しばらく様子を見ましょうか、落ちつけば帰るかも知れませんから」
「ここはインドだ、やっかいな事にならないように気をつけろ」
支店長はそう言いました。
その日、少女は私の部屋に泊まりました。
夜の食事も手をつけず、バスに入るようにうながしても首を振り、バナナを出すとそれを1本食べただけでした。
少女といえど、男女が同じ部屋で寝る事は硬く禁じられているようで、ベットの部屋には入らず居間で眠ったのでした。
次の日は日曜日でしたが、朝早く、どこで聞いたのか、ダンタンおばさんと、四十歳くらいの父親らしい男がやって来たのです。
「x○●◎〆△▼▽、◎■◇□◇○」
男は少女に、何やらまくしたてるように話しかけ、怒鳴り散らして殴りはじめたので、私は慌てて男の手を押さえました。
「〇x△■◇▼◆◎●▽▼×、▼□△▲▽■◇○◎、#◎▽▲◇」
親父は私にも、少女の身体を見ろといった風に、両手を広げて指しながら怒鳴り、ダンタンも、クリシュナにボシボシ(セックス)と言って激しくののしり、彼女腕を掴んでひったくるように連れて行ったのです。

それから少女は、掃除に来なくなりました。
お手伝いのダンタンとカウテリアに話を聞き、親子だとばかり思っていた男と少女が、夫婦だと解り大変驚きました。
更に驚いたのは、少女が売春をしていると言う話でした。
「インドは、何でもありの国だからな」
柿本さんは言いました。
「まだ子供じゃないですか」
「さにあらず、十七歳だと言うことだよ」
「十七?。あれで、どう見ても、十二,三歳にしか見えませんよ」
「多いときには、日に六、七人も客を取っているそうだ。あの親父は、少女を抱かせるために、お前の所に来させていたようだな」
「え〜!。そうなんですか」
「誰かクリシュナを、一万五千ルピーで買ってくれる人は居ないか、捜しているらしいよ。どうだお前」
「え、ええ、えええ?、たったの一万五千で、女を売るのですか」
「うん、働きが悪いらしい、彼女を売って、他の女と結婚したいらしいと言う事だ」
「そうですか、本当に何でもありの国ですね」
「俺はカウテリアに、浮気をしないと言う条件で、1回百ルピー払っているが、このあたりの売春は、高くても二十ルピーか三十ルピーらしい、一万五千はけっこう大きな金だよ」
「カウテリアは、結婚しているんじゃないのですか?、旦那も子供も居るって聞きましたよ」
「だから、俺と旦那の専用なんだよ」
「へ?、、、。いいんですかそんな事して、旦那は知っているのですか」
「うん、それが問題だ、今のところバレてはいない、いないが旦那は知っているかも知れない」
「とにかく、人を買うなんて出来ませんよ」
私は即断りました。
断りましたが、クリシュナが来ないと、何となく寂しい。
とても十七歳には見えない、細くて小さな身体。
浅黒い顔に愛くるしい目。親父に殴られている姿が浮かんで来ました。
連れて行かれる時、一瞬すがるような哀しい目で私を見たようにも思えました。
何故に私の所へ来たのか。
毎日誰かに、男に抱かれているだろうか。
病気の蔓延する衛生に配慮のない国で、売春を仕事にする女とやるのは、大変に気持ちの悪い事ですが、少女と言えど誰か居たほうが、寂しさもまぎれるだろうと思いました。
インドの女性と親しくなり、恋をするようなアテもありませんでしたから、たとえセックスは無くとも、あの娘がいれば、毎日が暑いだけで退屈なインドの生活が、多少はマシになるのではないかと思い直したのです。
それは、実に嫌な行為でした。
私は、クリシュナを一万二千ルピーで買ったのです。
柿本さんが、一万五千は高いと交渉したら、あっさり負けてくれました。
その金は、支店長の下田さんが、会社の経費で落としてくれました。

                                                     (2回目、終わり)

                



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