ロクロウと言う名のインド人 4

山松ゆうきちのボロ小屋 <立ちしょんべん>


目次


ある高名な大先

生2 (奥さん

倒れる)


宇宙人はいない

ヴァナラシの戦い (ガンジスの牙)

自己紹介

ロクロウと言う名のインド人 1

ロクロウと言う名のインド人2

ロクロウと言う名のインド人3


横着者

病院

ある高名な大先生

インド、コルカタで漫画教室

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中編ドラマ 連続四回

   ロクロウと言う名のインド人 4
  

       
        ロクロウと言う名のインド人 (4回目 最終回)

そんなはずは無い。
子である訳が無い。
しかし、私の気持ちのどこかに、わだかまりがあり罪悪感があり、ずっと払拭できませんでした。
もし、日本に戻ってから出来た子なら、大変な事をしてしまった。
どう落とせば良いのだろうか。彼は、青年は、何故に何も言って来ないのだろうか。
そして、それを確かめずにはいられなかったのです。
インド人のアパートを訪ね、彼の帰りを待ちました。

十一時を過ぎた頃、青年は帰っって来ました。
私を見て、一瞬ドキッとしたように見えましたが、すぐにおだやかな笑顔を作って、ペコッと頭を下げ、
「こんばんは。あれぇ、ロクさんじゃないですか。このアパートにお友達でもいますのでございますか?」
「いや、君に会いに来たんです」
「僕に?どんな御用でしょうか」
「うん、こんな夜中にすまないのですが、一寸お話してもいいですか。聞きたい事があるのです」
「どうぞ、どうぞ。何でしょう?」
「その、突然に、つかぬ事を聞いて申し訳ないのですが、君の歳は幾つになりますか」
「僕の歳ですか?26歳です」
「お母さんの名は、クリシュナと言いませんか?良かったら、その、教えて頂けませんか」
彼はしばらく考えていたのでしょうか、それとも何故そんな事を聞くのか怪訝に思ったのか、中々返事は返って来ませんでした。
「どうしてそんな事をおっしゃるのですか」
「いや、その、私は若い頃、インドで働いた事があるのです。その時つき合っていた女性がクリシュナと言いました」
顔を見て話す事が出来ず、地を見て笑いながら聞いたのです。
それから、そっと顔を上げて彼を見ました。
睨むように私を見ていた彼は、一瞬で目を外したようにも思います。
「もし、もしも、君がその時の子供なら、そう言って下さい。大した事は出来ませんが、多少のお金なら出せます」
「僕の母の名は、キラス、クマールと言います」
青年はキッパリと言ったので、それを聞いてホッとしました。
「ああ、ああ、そうですか。そうですよね、ははは」
やっぱり私の子ではなかった。クリシュナの子ではなかったのです。
そう思うと、肩の荷が取れた気がしてホッとしたのでした。
「何だよ、黒い顔に目だけギョロつかせて、夜中に何をボソボソ話してやがるんだ、ビックリするじゃないか」
 アパートの住人らしき酔っ払いが、非難がましく言いながら通り過ぎたので、
「四畳半一間の狭い部屋ですけど、良かったらお入りになりませんか。インドのお茶が少しだけあります」
青年は私を部屋に招きました。
「ありがとう、もう夜も遅いので、お茶は今度にします」
用は済んだ。そう思い、誘いを断りそそくさと家に帰ったのでした。

それからは、スッキリと眠れるようになったのです。
青年が、パートで働いている更科の前を通る事はありましたが、あえて店に入る事はありませんでした。

何事も無く正月が過ぎ、そろそろ暖かくなった頃。
更科の前で、女将さんに呼び止められたのです。
「チョット、ロクちゃん、たまには食べに来てよ」
「ああ、こんにちは、ついバタバタしてて、時間が無くて」
「うっん、時間はあるものじゃないの、作るものよ」
「あははは、そうですね。彼、インドのロクちゃんは頑張ってます」
「それなのよ、四ヶ月ばかり前に、ママのマータージィーが倒れて危ないって帰っちゃったのよ」
「えっ!帰ったの、大学は?」
「卒業出来るとは言ってたけど、どうなんだろうね。あの子から貴方に、手紙を預かっているのよ、これ」
「私に?、何だろう、ずいぶん厚い手紙ですね」
「来たら渡そうと思って待っていたんだけど、来ないんだもの」
「それはすみませんでした、どうもありがとう。」
手紙にしてはズッシリと重く。封筒には日本文字で ”岸本六郎様” とあり、裏には ”ロクロウ キラス クマール” と書いてありました。
それを見て、一瞬ドキッとしたのです。
クマールと言う名字は、職人の家計に付く名前で、北インドで仕事をしていた頃、近辺には10人に一人くらいか、五人に一人、あるいは三人に一人もクマールと言う人達がいたでしょうか。
あの時結婚していた、親子ほども年の違う男の姓も、確かクマールだったと聞いたように思います。
クリシュナは、いつもクリシュナとだけしか言いませんでしたが、カウテリアだったか、ダンタンおばさんが、一、二度度キラスと呼んだような気がしたからです。
近くの喫茶店に入り、コーヒーを頼み、手紙の封を切りました。

<ナマステー、岸本六郎様>
インド人の僕が、このような長文のつたない日本語のお手紙をお出しするのは、大変なご迷惑かも知れませんが,どうかお許し下さい。

母は元来、丈夫な方では無かったのですが、いよいよ起き上がる事も困難になったと、知人からの知らせがあり帰ることにしました。
挨拶に伺う事なく帰国しますがお許し下さい。

大学の論文は、三年も前から少しずつ書いていましたから、何とかまとめて提出し、教授からは卒業できると確約を頂きました。
私事ながら、ご安心下さい。

僕は、1984年、12月23日、父の居ない子として、ハリアーナーのハタハリで産まれました。

今はインドも、ようやくにして義務教育制度が整って来ましたが、ごく最近まで、ご存知のように大勢の貧しい子は、教育を受けること無く働いていました。
僕の子供時代は、僕のような貧しい子ばかりか、中流と言われる子息も皆一様に働いていたのです。
そんな中で、クラスメートからは売春婦の子、土の家の子、ミッティーガルラルカー、と卑下されながら学校へ通いました。

母は、絨毯を織る仕事をしていましたが、手当てはわずかなものでしたから、臨時に飲食店や、道路工事の仕事を手伝ったりして、家計の足しにしていました。細く小さな身体であまり丈夫で無い母が、なぜにこんなに無理をして働き、僕を学校へ通わせるのか不思議でなりませんでした。
そんな母を見るのがしのびなく、高校へは進学しないで働きたい、僕が働けば収入は倍になる。今の暮らしでよければ、母は働かなくとも良いと言ったのです。
その時、僕の名が何故ロクロウなのか教えてくれ、父が日本人であると聞かされました。
インドの神から差別を習い、あの人からは、優しさを教えて頂いたとも言いました。
母の口から、売春をしていたとも告白されました。
文字も読めないどうしようもない私に、読み書き計算を教えてくれ、今はもう使ってしまってほとんど無いけれど、毎月大きなお金を頂き。ここのアパートに住めるのも、お前が学校へ行けるのも、その人のお蔭なのだと言われたのです。
男たちに交じって、絨毯の数をノートに就ける仕事が出来るのも、多少でも字が読めるからなんだよ。
そのようにお世話になっていながら、もしお前の前にあの人が現れた時、息子には学校に行かせず働かせましたと言えますか。
父のような立派な人になれとは言いません。でも、できるだけ頑張ってほしいのです。恥ずかしくない男になっていてほしいのです。
どんなに悲しい事があっても、決して泣くことが無かった母が、目から涙をこぼしながら、棚の奥から箱を取り出し、その箱の中に布で包んだ小箱を開け、アルバムを開いて、この人がお父さんだと教えてくれたのです。

それからの僕は、勉強だけをする少年になりました。
炊事や家事や、家の事を手伝おうとしますと、母は疲れたでしょ、ゲームでもして休みなさいと言い、よっぽどの事以外はさせてくれませんでしたが、最早僕が、それに逆らう事はありませんでした。
何年も前に壊れて動かなくなった、スーパーマリオンのゲームで遊ぶ振りをしたのです。
何故うちに、日本の人形や、ゲーム機があるのか解かりませんでしたが、その意味も解りました。
母の生きがいは僕であり、日本人の父がいる。そう思うだけで、僕は勇気と活力が沸いてきました。

幸いな事に勉強が嫌いではなく、大学へ進学しても成績は常に上位でしたから、憧れの日本へ、学費免除の無料留学に応募しましたら、運良く合格したので、母も、大変喜んで下さいました。
母とは、日本でやってはいけない事を、一つだけ約束をしました。
それは日本で、父を捜さないと言う事です。
捜せば、息子だと名乗りたくなる。あの人には父と言えない事情があるのかも知れませんから、何もわからず会いに行けば迷惑がかかります。そうなれば、優しいあの人を傷つける事になります。
そう言われたのです。

僕はつのる気持ちを押さえることが出来ず、母との約束を破りました。
暇を見つけては、日本に居る父なる人を捜したのです。
五年近くもの長い間、徒労に終わる日が続きました。
会社名が、インドで使っていたアジアスプリングではなく、関東発条だった事。会社は東京ではなく千葉にあり、住まいが埼玉だった事や、名前が六郎と書いて、ロクロウではなくムツオさんだったからです。
やっと会社を見つける事が出来た時、やってはいけないと思いながら、訪ねて行ってしまいました。
その時は、何も教えて頂けませんでしたが、名前が解れば、何とか住所も調べる事は出来ます。

僕は幸運でした。
父の住む家が見える、アパートの二階の角部屋を借りることができたのです。
ああ、あれがあの人の住まいなのだ。そう思うと嬉しくてたまりませんでした。
庭に男の人が見えれば、あの人はもしかしたら、父ではないだろうか。
女の人は、奥様だろうか。
若い人は、娘さんだろうか。娘さんだとしたら、僕の妹になるのだろうか。
毎日部屋から眺め、母のアルバムから、一枚だけ頂いた父の写真を机の上において、拝んで感謝し、大回りになりますが、あの人の家の前の道を通り大学へ通いました。
あの人に会えるかも知れないと思ったからです。

ある日、駅に向かう途中でした。
前から来る男の人が、写真で見るあの人の顔とそっくりだったのです。
頭に白いものがあり、中年にはなっていましたが、紛れもなくあの人だったのです。
心臓はドキドキと鼓動を打ち、身体が震え、足はガクガクして思うように歩けませんでした。
「こんばんは」
それでも勇気を奮い、その人に声をかけました。
<お父さん、僕はロクロウです>
心の中の大きな叫びに負け、思わず振り向いて、あの人に飛びついてしまいそうになるのを必死で我慢しました。
大学へ通う留学生の多くは、本国では大変なお金持ちばかりです。
日本の、留学生の労働は週四日以内に決められています。
僕のように法を犯して週に五日も働き、パートしながらの留学は、身分不相応だったと思っていましたが、それからは、毎日が楽しくてしょうがありませんでした。

又ある日。
バイト先の更科屋さんに、あの人がやって来て声をかけて下さいました。
「この近くに住んでいるの」
それは、母の言っていたように、神にも勝る優しさのある声でした。
<インドの住所は、ハリヤーナーのハタハリです。母の名はクリシュナ。今も貴方が買ってくれたアパートに住んでいます>
思わず言ってしまいそうになりました。
こみ上げてくるものが目から溢れそうになり、お客さんの方へ注文を取りに行ったのでした。

そして、ある朝。
あの人は庭を掃きながら僕を待っていました。
その時も、胸はバクバクして踊り、今にも破裂しそうになりましたが、平静を装い挨拶しました。
「家を見張られているみたいで、気持ち悪いから、この道を通らないでほしい」
と言われたのです。
ああ、僕は何とうかつなのでしょう。
周りをうろつかれ、朝夕見張らていると思ったら、誰でも気持ちのいいものではありません。
それからは、閉めたカーテン越しにあの人の家を覗き、出かける前に、部屋に戻った時、
「お父様ありがとう、ロクロウは今日も元気でした」
感謝を込めて手を合わせたのでございます。

ある夜のことでした。
あの人は、アパートへおいでになり、
「君の母の名は、クリシュナと言わないか。」
と聞かれ、
「キラス クマールと言います。」
と答えました。
キラスは、母の両親がつけてくれた正式な名で、クマールは、僕が生まれる前に、結婚していた夫の姓です。
母はクマールも実家のキラスも嫌いで、自分ではクリシュナとだけ言っていました。
僕にはクリシュナの名を、どうしても言うことが出来ませんでした。
それは、母との、たった一つの約束を破る事になるからです。
いいえ、約束はすでに破ってはいたのですが、約束の全てを破るように思えたからです。
「多少のお金なら出せます」
とも言われ、お金がほしくて周りをうろついていた訳ではないので、とても驚き困惑しました。
ご迷惑は一切かけてはいけないと、気をつけるようにはしていたのですが、度々の至らない不注意で、わずらわしい思いをさせてしまいました。
どうか、どうか、どうかお許し下さい。

明日は、インドへ帰ります。
今、大事な宝物である、スーパーマリオンを出して一人遊んでいます。
母があの人と遊んだと言う古いゲームです。
もう何年も前に壊れてしまって、絵は出ません、音も出ません。
でも時々、こうして手に持ち遊ぶのです。

母はクリシュナ。
母の自慢であり生きがいは、日本人の子を産んだ事です。
父は優しく偉大な心を持った日本人、岸本六郎。
僕の誇りは、ロクロウと言う名のインド人である事です。

母は売春婦でしたし、僕には日本人的な身体的特徴が何一つないので、父と慕うあの人の子では無いようにも思います。
ですから、これは、僕と母の思い込みのような気もします。
それでも良いのです。たとえ思い込みであったとしても、これからも、そう思いながら生きていくことになるでしょう。
その事を、どうか、どうか、どうか、どうか幾重にもご容赦下さい。

これからは、苦労をかけた母と共に暮らしたいと思いますので、もう日本へは来れないかも知れません。
父と思い込むあの人とも、お会いする事もないでしょう。

  さようなら
           <ロクロウ キラス クマール>

私は涙を拭きながら、青年の手紙を読みました。
それは、私の独善を知らない、驚くほど全てが善意に満ちた内容でした。
このような青年を、疑い怯えた自分を恥ました。
私は、そこら中に転がっているような、どこにでもいる愚かで臆病な人間です。
こんな私のどこが優しくて偉大なのですか。
彼のアパートを訪ねたあの時、部屋に入って、インド茶をご馳走してもらうべきだった。
「ごめんなさい」
手紙に頭を下げました。

「海外旅行は行ったこと無いでしょ、行きましょうか」
妻に言ったら、ニンマリと笑い、
「どこ、何処に行くの、何処でもいいから行きたいわ〜」
「私が昔、行ったことがあるインドなんかどうでしょう、行って見ませんか」
「嫌よ。どうしてインドなのよ。食べ物も洗わない汚い所だって、貴方言ってたじゃない。聞くだけで病気になってしまいそう。行くなら、ヨーロッパかアメリカでしょ」
「そうか。そうですね」

ー 行くとしたら、一人だな。


           ロクロウと言う名のインド人    
                       <最終回、終わり>                                          
            
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