山松ゆうきちのボロ小屋 <立ちしょんべん>

インドラニ―の優しい娘 − その2 −




       インドラニ―の優しい娘 − その2 −

                          < 2014 2 15 >

                             <2016、3,12、直し>

「亡くなった、マンデオールムアンド社長は、炎の神インドラのように怖い人で、マグマが噴火すると、怒りは手が付けられない人でしたが、社長の力があってデリー建設はここまで伸びてきたのです」

近代化途上にあるヒンドスターンインドに、その牽引車である首都デリーの発展に必要な、現代の英雄だったと称賛され、重役はじめ町の有力者や市長は、惜しみなく賛辞を送り、葬儀はつつがなく盛大に行われた。

早くて安い、デリー建設の評判は一般にそう悪くはなかったが、

同業者からは、

「早かろう、安かろう、悪かろうのエセ洋風」

と言われ、

自分の家まで、手抜きをして潰れたと陰口を叩かれていたから、

警察は崩壊した原因を、入念に時間をかけて詳しく調べた。

土台の土を盛ったダルコ社をはじめ、セメント、ブロック、鉄骨等の関連会社まで綿密に調査されたが、崖の水抜きのパイプの配管が何本か詰まっていたぐらいで、さほど悪い設備も工事の手抜きも見つからなかった。

最もインドの道路や鉄道や建築は、欧米や日本に比べればかなりいい加減で技術は甘く浅い、これまでの建物はレンガを積んで垂直には建てるが、壁は凸凹で、窓や出入り口は中央から左右に開く観音開きか、下から上に開閉する物が多く、レールを敷いて左右にスライスさせて開くドアはまれで、精密に作業するような観念は希薄であった。

カンナやノコギリやノミを使う大工は少ない上に、道具は恐ろしくキレが悪い。

古来からの歴史のある国ではあるが、技術の進歩は無いに等しいほどに緩慢で、その多くは出来上がりの見た目で判断し、出入口や椅子など、目立つところを一見豪華に飾り立てる。

そんな中でデリー建設は、いち早くサッシを使った洋風を取り入れ、インド伝統の建物としては少し高いが、ヨーロッパ式の建物にしては安価に販売して急成長して来た。

ある年取った刑事が、盛り土に埋めた50本ほどある水抜き用のパイプが、20本ほど詰まっていたことに目をつけ、

「工事で、セメントの詰まったパイプを配管するとは思えない」

誰が詰めたのか調べていたが、そんな事をやる動機のある人が浮かばず、いっこうに調べが進まないので、立ち消えになりあきらめたようだった。

崖が崩れるような住宅の施工は、欠陥なのかも知れないが、なにが欠陥かは指定しにくく、建てたデリー建設はもとより、夫人のカリーナ―も警察も住宅の施工が不備だったのではないか、と言った事にはさほどの関心は無く、やはり原因は異常な長雨のため、植えた樹木の根は浅く、土台となる土もしっかりと固まっておらず崩れた。

そう結論づけて捜査は終わった。

葬儀が終わったあと、残された遺産金をまとめて、忌まわしい出来事を一日も早く忘れたいからと、中学3年の長男と、高校2年の長女に、

「ここを売り払って、引っ越そうかしら」

と提案する。

「いいわよ、ママに任せる」

何年間かではあったが、父の建てた住み慣れた家を去る事に抵抗するかと思っていたが、意外にも引っ越しはすんなりと決まる。

「そのほうが良いかもしれんな」

マンデオールの弟キショールもうなずき、ヴァナラシの近くに住む、マンデオールの両親からの反対もなかった。

デリーの南の新興の住宅地を買って引越しをしたいと、会社に連絡を入れると、

新しく社長になったモーハンと重役のソムラが来て、

「何かと物入りでしょうが、費用の方は大丈夫でしょうか」

と親切に聞く。

夫人は夫のマンデオールから、

「モーハンは押しが弱く、簡単な事まで1人で決められん。あいつに仕事を任せると時間がかかる、苦情処理係だな」

と聞いたことがあり、

会社での順位は、5番手か6番手のずっと下のように思っていた。

軍隊か警察か暴力団のような、人の顔を見て、腰が低く低姿勢に話したり、あるいは高圧に、突然怒鳴り散らすデリー建設にあって、常に穏やかなモーハンが社長になったと聞かされた時は、思いもよらない人事に驚いた。

カリーナーは、主人のマンデオールから、月ごとに必要な家計費を渡されるだけで、金銭の管理は一切タッチしていなかったが、預貯金や保険やらの金額が入っていた。

「それほど贅沢をしなければ、子供たちが大学を出るくらいは何とかなります」

「そうですか、それは良かった」

モーハンは、相手を立てながら丁重に話す。

「実は相談がありまして、と申しますのは他でもないのですが、今後の会社の事なのです」

いずれは株式の上場を目指していたデリー建設の株は、前社長のマンデオールが2000万株全株を所有しています」

上場の第一の条件としては株主を増やさなければいけない。

100パーセントの倍額増資をしたいが、承認してもれないかと言う話だった。

増資分は無償で、重役と役員がそれぞれに振り分けて30%を持ち、カリーナ―が20%。前社長マンデオールの親族に5%、残りの45%は上場された時に投資家に売り、予備資金として会社が保留したいと言う事だった。

「重役が1株も持っていないのでは、何かと世間体が悪いものです」

「会社のことは私には解りませんので、皆さんの良いようになさって下さい」

「そうですか。有難うございます。無償と言いましても、些少ですが1株につき2ルピーの配当がつきます」

増資の新株が2000万株で、その20パーセントは400万株になります。前の株と合わせると2400万株になり、年間配当は4800万ルピーになります」

「えっ、4800万ルピー?私が貰えるのですか」

「はい、厳密に申せば、奥様とお子さまでございます。株価はその時その時で値は変動しますが、上場されればおおよそ1株50ルピーから100ルピーぐらいにはなると思います」

カリーナ―は一瞬黙し、ポツリとつぶやいた。

「そうですか、私たちはお金持ちなのですね」

前社長マンデオールは、他にもあちこちにかなりの不動産を持っていたが、

どこまでが会社のもので、どこからが個人のものか、書類が乱雑で入り組んでいて難しい。

更に他人名義や別会社の物が入り混じっている。

そのたびに弁護士はカリーナ―を訪ねて、説明しサインをするのだが手間がかかる。

「私たちは沢山の株を頂いているのですから、生活に困る事はありませんわ、これ以上の物は望んでいませんから、会社で良いように処分して頂いてかまいませんわよ」

「は、そうですか、かしこまりました」

会社は、揉めると切りがないと覚悟していたから、事後承諾の形での報告で良いと言われ、面倒な事を一任されて肩の荷が下りた。

マンデオールのワンマン経営からの脱却を目指し、何とか穏便に上場をめざす会社が、カリーナ―の資産や家族の取り分を、極端に少なくなるように見積もる事は無かった。

カリーナーは息子と娘に、株や土地や預金などの財産は3等分する事を提案したが、

「普通妻は半分、子供は残った半分を分けるのが一般的よ。私達が学校を出るまで面倒を見るのだから、お金はママが自由に使って、私は株を4分の1を貰えば充分よ」

姉の意見に弟は頷き、家族も会社も大方の事は何の支障も無く片付き、

父に可愛がられていた子達は、カリーナ―を母と慕っているとは思えなかったが、新しい家に引っ越しても、なんら問題も無く一緒に暮らす事になった。

会社から突然に、カリーナ―に副社長就任の要請が来た。

「私が?」

全役員が一致したと言う事だった。

デリー建設の経営は過渡期で、インド全体がだんだんに高級志向が強くなり、レンガからセメントで塗られたヨーロッパ風のビルは乱立するように建てられ、歯止めのない値下げが続いている。

売り上げは頭打ちになり、人件費や資材の値は上がり、儲けの経常利益は落ちていた。

家族経営は通用しなくなり、すでに会社は、近代化へ向けて踏み出していたが、ワンマン社長は、安上がりの建築にこだわり、仕事の内容は旧態依然としていた。

早晩誰が社長になっても、社内の整理は進めなければならない。

やがて変革期を移行すれば安ければ売れる時代は去る。

いらない部門は削る事になるが、経営の転換や解雇は、内外から非難をあびる。

ワンマン社長の強引さがあれば、神の一声で難なく可能な事も、今はもめごとや非難は少なくしたい。

そこで会社が落ち着くまで、前社長の奥さんに副社長になってもらうのが良いのではないかと言う事になり、

条件は週に2日の出勤と、重役会議に出席してくれればよいと言う事だった。

「そうですか、座っているだけでよろしければお引き受けしますが、何にも知らない私で良いのでしょうか、何だか気が引けますわ」

「助かります、事があれば一切私共が処理しますので、心配しないで下さい」

社長のモーハンは、あくまで穏やかで丁重に説得する。

ほどなくカリーナ―は副社長に就任し、デリー建設に迎えられた。

誰もそんな事は期待していなかった。

仕事の内容は聞いても解らなかったが、副社長カリーナ―は、土曜と日曜を除いて、ほぼ毎日のように出勤し、社長のモーハンが不在の時は、下から回って来る書類に目を通し、社長に連絡を入れてから許可されたものにだけサインをした。

テレビを見たり、フアッションや冒険小説を読んで時間を過ごしていたが、

「こんな事で、たくさんのお給料を頂いて良いのかしら」

そう言って、建設関係の本をめくって勉強をはじめ、時には建設中の物件の視察に回り、

「クレーンと、トレーラーと、コンバインは何が違うの」

現場の邪魔にならないように質問をする。

「何だ、お前は、見て解らねえのか」

面倒くさそうに話し、相手にしてくれない現場監督や作業員もいるが、

「こっちのシャベルが付いたのがユンボで、トラックに、資材を積んだり下ろしたりするのがユニットだ」

肩書だけの副社長であったが、たいがいは親切に教えてくれる。

経験があり資格を持つ技術者は、喉から手が出るほどに欲しい。前の社長マンルデオールと、そりが合わなくて辞めた社員を呼び戻す事になったときは、

カリーナ―は暇だからと言って、交渉に同伴し、

無口で控えめに、最初と最後に、

「ナマステー(こんにちは)」

「ダンニャワード(ありがとう)」

くらいしか言わないが、たまにはお願いを口添えする。

「あなたが必要なの、もう一度うちの会社に戻って、仕事をして頂けないかしら」

おっとりとした穏やかな話し方には品があり、飾り物として色合いが良く、社員からは好評で、他の交渉事にも一緒にと声がかかる。

「金額に1つゼロが足りねえよ」

30人もの鳶を使って、かなり大きなビルの足場を組む現場の親方が、若い衆を連れて怒鳴り込んで来た時。

通りかかったカリーナ―は、はっと息をのむように足を止めた。親方のそばにいる24、5歳ほどの若い男が、別れた元婚約者とそっくりだったのだ。

「契約は契約だ。間違えるのが悪い」

対応していた社員は突き返し、社の入口で怒声を上げ揉めていた。

「考えても見ろ、30万や40万のペーシギー(前金)でこの仕事を請け負う馬鹿がどこに居る」

「では修正の書類をととのえて、営業に持って行って、経理に提出して下さい」

「そんな暇はねえよ。銭はすぐ使わなきゃ間に合わねえ、鳶も土工も金を待ってんだ。来月に回されたら困るから来ているんじゃねえか」

親方は、口角に泡を吹き飛ばして怒鳴り続ける。

「仕事はやっているのでしょ、どうして支払えないのかしら?」

カリーナ―はつい口を挟んで社員に聞いた。

「金額を間違えたのはこいつらでして、書類もこいつらが作ったのです」

「お前らも目を通してサインしたじゃないか、俺のせいにするんじゃねえよ」

「大事なお客様に頑固はいけませんわ。経理に行って出せるか聞いて見ましょう」

経理は、

「書類に不備があれば、訂正してから清算してお支払いするのが筋です」

直ぐには現金を渡せないと断られる。

あいにく社長のモーハンと経理部長のビーマルは、ボンベイに出張していて携帯が通じなかった。

「お困りでしょ、どうせお支払するお仕事の代金ですものね」

親方と一緒に銀行へ行き、私のサインで、270万ルピーを借りる事は可能かと相談した。

「会社のお金を使う事が無理でしたら、私個人の借金でも構いませんわ」

「しばらくお待ちください」

銀行は頭取が出てきて、即金で目の前に現金を積んでくれた。

「ごめんなさい、これからもうちの仕事をやって下さいね」

「ああ、間違えた俺も悪いんだ。金さえ貰えば文句はねえさ」

親方はホッとしたように低頭して機嫌よく帰った。

傍に付いていた若い男は運転手だろうか、ただの付き添いのようで一言も喋る事は無く、カリーナ―を見ても終始無表情だった。

婚約者は今はもう40を超えた歳のはず、あんなに若くは無いと思い2人を見送ったのでした。

この事は瞬く間に社内外に広がり、

穏やかで座っているだけの飾り物として、副社長のイスを与えられていたが、

中々気のきく話の解る女ではないかと噂されたのです。

元バラモンを自慢するマンデオールムアンドは、家庭では会社以上の暴君で、

「金で買える女は安い、お前は安い女だ」

妻のカリーナーは、いつもそう言われ、時々に、酔いにまかせては女を連れて来た。

「うお〜、旦那様のお戻りだ」

「お帰りなさいませ、あら、お客様でございますか」

妻は控えめで出しゃばらず、いつも笑顔で対応する事を忘れない。

「おーよ、大事なお客様だ。おまえは別部屋で寝ろ。今夜はお客様と話がある」

酔った女は甘い声を出して、ムハンドの胸にしなだれかかる。

「うふふん、何のお話かしら、あらん、ここ、寝室じゃないの、いいのかしら」

「気にするな。さあ話し合おう、リラックスしてくれ、服を脱げ、」

「いや〜ん、シャワーを浴びさせてよ」

「うははは、ぶちゅん、ぶちゅ、話が先だ」

「ああ〜ん、だめよ、だめ」

妻のカリーナーは笑顔を絶やさず、そっとドアを閉めて部屋を出る。

夜半にお客があった時は、いつも台所へ行き、鍋に水を入れ、冷蔵庫をあけて野菜とソーセージや卵を出して、料理のメイクをはじめる。

ポンとトースターが弾けると、皿に乗せて、横にバターやジャムを添えてワゴンに置き、

何種類かの料理と共に寝室に運ぶ、

「あ〜ん、だ〜めっ、まって、あふ〜ん」

秘め事のもれる、寝室のドアの前にワゴンを置き、そそくさと何事も無いかのように部屋から離れるのでした。

 

太陽はすでに中天にかかり、今日も暑い日が始まろうとしていた。

裸で腰にドーティーを巻いたムアンドは、出された茶をすすりながら、

「子供はスクールか」

「はい」

「客はどうした、帰ったか」

「2時間ほど前にお帰りになりました」

カリーナーは笑顔を絶やさないように心がけながら、一度だけ抗議した事があった。

「深夜に女性のお客様をお連れになるのは、少し控えて頂けませんか。子供も解らない歳ではないのですから」

茶をすすっていた、マンルデオールムアンドの手が止まり、

「何が解るのだ。大事なお客を連れて来て何が悪い」

「それでしたら寝室ではなく、他のお部屋が適当かと思います、ホテルにでも泊まって頂いてはどうでしょう」

「やかましい事を言うな」

低い声で押し殺したように言い、持っていたカップの茶をカリーナーに投げつけた。

「ワシは、夜中まで仕事をしているのだ。文句があるのか。他に言いたい事があれば言え」

「いえ、申し訳御座いませんでした」

「飯だ」

「はい、只今すぐにご用意いたします」

飛び散った紅茶を布巾で拭いて、割れたカップを持って台所へ行き、果物が盛られた皿を持って来る。

炊き込みご飯のビリヤーニーと、ヨーグルトサラダと、紅茶を追加して載せる。

ムアンドはビリヤーニを摘んで口に運び、

「まずい」

一言言って吐き出し、サラダを口に入れて吐き出し、テーブルの端を両手で持ってひっくり返した。

「何年料理を作っているのだ。ええい、わずらわしい顔をするな」

「はい、申し訳ありません」

夫の恫喝に、怯えながら答える。

「それだ、モタモタしたその顔がうっとうしいのだ」

顔を平手で叩くと、髪を掴んで倒して引きずり蹴った。

何が気にいらないのか、気難しい夫の気性に対処する術はない。

ただうつむき、床に頭を付けて、足の上に両手を添えて謝る、

口答えをする事もなければ、自分の意見を言う事もない。

「マーフキーゼー、どうかお許し下さいませ」

怒りの収まるのをただひたすらに待つ。

毎日が怖く、オドオドしながらの我慢の暮らしだった。

夫に言われるままに、思い出しては笑顔を絶やさないように心掛けたが、声を出して笑う事は殆ど無かった。

泣いても事は解決しない、そう思い泣く事も忘れた。

「パパのどこが良くて結婚したの?」

母の顔の痣を見て、娘のニーナから聞かれた事がある。

「う〜ん、どうしてかしら」

36歳になる母は答えなかった。

結婚したのは18年前、17の時だった。

マンデオールは46歳。

再々々婚で2度結婚に失敗している。

1人目の妻は、3年経っても子供が生まれないからと離縁し、

二人目の妻は、怒鳴られるのは怖くて嫌だと言って、半年あまりで家を出て戻って来なかったと聞く。

少女時代は何不自由なく暮らして育った。

絨毯や衣服の卸をしている父の商売が、うまくいかなくなったのは何時からだったのだろうか。

近代化に遅れたインドであったが、それでも文明の波はジワジワと押し寄せてくる。

行商を必要としない安い反物がどっさりとトラックで運ばれ、カシミール産のような高級絨毯は、特定の業者が専売して扱うようになった。

時代の波に乗れず、取り残され背を向けられた男はあがき始めたが、事態が好転する気配はなかった。

カリーナーは、14歳で6歳年上の男と結婚することが決まり、中等学校を卒業したら、式の日取りが決める事になっていた。

父と母の持ってきた縁談で、どんな男か不安だったが、何度か顔を合わせるうちに、男は柔和で優しく気を使ってくれ、結婚に不安や不満は無くなり、指折り数えて式を待っていたが、

「しばらく待ってくれ、半年か3ヶ月でいい」

父は事前に婚約者へ贈る、ダウリー(女性から男性へ持参する結納の金品)のオス牛2頭が用意出来なくて、結婚の日取りは延び延びになり、1年経っても商売は好転せず、

ある日突然に、マンデオールと食事する事になった。

「いい話を持ってきた、お前の結婚話だ。マンデオールさんは、お前が気に入って、嫁に欲しいと言ってくれた。」

父はそういって、突然前の婚約は破棄すると告げられた。

「建設会社の社長はお前にぞっこん惚れたようで、是非に一緒になりたいと言ってくれている、ダウリーなんかいらないとも言ってくれた。それどころか借金の返済もしてくれる。これでまた一から商売できる。全くお前にはもったいないくらいの良い人だ。」

喜び勇んで、婚礼の日取りまで決めて来ていた。

あっと言う間の出来事で、破棄された婚約者が、親や親戚を伴い怒って抗議に来た時は、式の5日前でにべもなく追い返した。

「何の相談もなく勝手に破断にしやがって、お前の親父は人の道に外れているぞ」

婚約者の父が放ったその言葉は、耳に焼きついて離れず今も時々思い出す。

夫に、最初に殴られ足蹴にされたのは何時だったのだろうか。

始めは優しく、

「マーガリックが足りない。ワシは胡麻が嫌いだ、覚えていてくれ」

さとすように言ってくれた。

「何度言ったら解るのだ、塩と唐辛子が足りないのだ。もっと辛くしろ」

「、、、、はい」

カリーナ―は、かみしめるように1拍遅れて返事をしてから行動する。

最初はいとおしく可愛いと思っていた仕草が、だんだんにうっとうしくなり、遅い動作にいらつく。

頭を殴られた時は、驚きで声も出なかった。

「主人が帰ってきたら、妻は出迎えするのが当然ではないのか、君の家ではそうしなかったのか」

意外にも二人暮らしで、特別な日にはお手伝いを頼むことはあったが、掃除選択は全てやらされ、お金の管理も厳しかった。

気性は几帳面で細かく、息の詰まるような長い叱責が始まる。

いつの頃からか、何のためらいもなく頬をぶたれ、足で蹴られるようになる。

産みの親にも、何度かぶたれる事はあったが、これほど激しく殴られはしなかった。

容赦のない折檻を受け、顔がゆがむと思い、殺されるのではないかとおののき実家に逃げた。

実父はカリーナ―の話を聞き怒った。

「マンデオールがそんな男だとは思わなかった。大丈夫だ、ワシが言ってたしなめてやる」

「毎日がとっても怖くて、もうあそこへは戻りたくないの」

必死の懇願だった、

「解かっている、だがな、何の断わりもなくかくまうわけにはいかん」

カリーナ―の手を取ってなだめ、夫マンデオールを呼んだ。

「まだ子供ですから、大目に見て下さいませ。足らん所はこれからもビシビシ躾てやって下さい」

平身低頭に頭を下げて許しを乞う。

手の平を返したような、父の姿を見て唖然とした。

「お前に戻られては顔向けができん。辛くとも我慢するのだ」

貧乏は人を変えるのか。それでもまだ、両親には子供を思う優しさがあると思っていた。

二度目に実家に帰った時は、父母はさもうるさそうに恫喝して、

「お前が戻って来たら、ワシは借金を返さにゃならん。そんな金が何処にある」

家に入れてもらう事もなく追い返された。

この時カリーナ―は妊娠していたが、親には言えなかった。

産みたくない。

シトシトと振りしきる雨に打たれて、あちらにこちらに腰掛けながら、どうして良いか解らずとめどなく歩いた。

どれくらい歩いたのだろうか。

夕闇になる頃、パテルナガル駅前のバスターミナルで雨宿りをした。

バスに乗って何処か遠くへ行こうか、遠くに行けるお金は持っていない。

電車に飛び込んで死のうか。

お腹の子に罪は無い、道ずれにして良いものだろうか。

神はそんな事をお許しはしない。

あても無くぼんやりとしていた。ふと、元婚約者だった男を思い出す。

1度だけだったが、物陰に隠れるように抱き寄せられて、キスをされそうになった事がある。

「結婚まで待ってください」

そう言ってうつむく彼女に、

「マーフキーゼー(ごめんなさい)」

そう言って、優しく肩を抱き寄せ家まで送ってくれた。

それから彼は、婚約破棄を知らされて親を伴って家に来たとき、そっとそばに来て、2人でどこか遠くへ行って暮らそうと言ってくれたが、彼女は決断出来ず答えなかった。

酒の瓶を抱えた柄の悪そうな男たち4,5人が道幅いっぱいに広がり、何やらガヤガヤ話しながら、途方に暮れる彼女の近くに寄って来て、

「お、綺麗な姉ちゃん、俺たちと遊ばない、楽しい事教えちゃうよ」

女をからかい卑下するような笑いを残して通り過ぎ、通りの端に停まっているトラックに向かって歩いて行く。

どこかに荷物を運ぶのだろうか、衣服は汚れ半裸の男もいる。

髭面の男が振り返り、ゆっくりと戻って来て、

「奥さん、どこへ行くんだい」

と話しかけて来た。

「こんな所をうろついていちゃ危ないよ」

頭が濡れているよとも言って、そう綺麗でもない使い込んだハンカチを出した。

「拭きな」

「いえ、大丈夫です」

彼女は、小さくつぶやくように断った。

男は横の車止めのパイプに腰を掛けて、タバコを出して火を点け、

「ダリヤガンジに行くバスは向こうだが、本数は少ないからオートの方がいいよ、呼んでやろうか」

優しそうな声で、さも親切そうに話しかけ、自分の住む所を知っているような口ぶりは、無気味である。

「いえ、いいんです」

「誰かと待ち合わせかい」

「、、、、、、」

こんなところで、知らない男に話しかけられるのは迷惑だった。

何を思ったのか、黒ずみ汚れたハンカチを出して、女の濡れた頭の髪を拭こうとした。

そのしつこさに閉口し、顔を上げてキッと睨んだが、

自分のずうずうしさに気がつかないのか、濡れた髪の毛に手を添えて、さも大事そうに優しくいたわるように拭きはじめた。

何故にそんな事をするのか、ぞっとするほどにおぞましく気持ちが悪い、頭がおかしいとしか思えない。

「止めて」

首を振って手で払うと、ハンカチは水溜りに落ちた。

「おい色男、いつまで何やってんだ、行くぞ」

トラックの横で戯れていた男たちが、大声で髭男を呼ぶ。

「おっ」

手を上げて答え、苦い笑いを残し、

「マーフキーゼー」

そう言って去っていった。

カリーナ―はうつむき、見るとはなしに水溜りに落ちたハンカチを見ていた。

刺繍されたKの小さな文字が読めた。

「、、、、?」

かすかに思い当たる事があった。

まさかと思いながら、恐る恐る水を含んで滴るハンカチを拾って確かめる。

はじっこにミシンで編んだ文字は摩耗してほつれていたが、kaの2文字が読めた。

急いで反対側に刺繍された文字を見る。

黒く変色していてはっきりとは読めない。

傍の水溜りで洗って伸ばすと、Daniと読めた。

カリーナ―は驚きで目を大きく見開き、息をのみ消えかけた文字をなぞって指で確かめる。

それはまぎれもなく、彼女がDanigiと刺繍して婚約者ダニジにプレゼントしたハンカチだった。

「まさか、あの人が」

2年の間に顔の髭が伸び、頭髪はくしゃくしゃで頬がこけて、人相が変わり痩せていたが、あの声はまぎれもなくダニジさん。

「マーフキーゼー」

と言った。

そういえば前にも、何度かゴメンと言われた事があった。

仲間の元へ行く男の背中を見て、

あの人は雨に濡れる私を見て、恨んでも恨みきれないほどに憎んでいるはずなのに、声をかけ頭を拭いてくれた。

身なりは悪くなっても優しさは変わっていない。

そうと解かっていれば、ご免なさい許して下さいと謝りたかった。ダンニャワードとお礼を言いたかった。

まだ結婚はしていないのだろうか。

神は偶然を装い2人を巡り合わせてくれたに違いない。

もしそうなら、今からでも2人は仲良くやっていけるかも知れない。

カリーナ―は立ち上がり男を追ったが、20歩も進んだところで立ち止まった。

男が振り向いたのだ。

ご結婚はと聞きたかったが聞けなかった。

ハンカチを出すと無言で受け取った。

愛があれば、どんな苦労でも乗り越えて行ける。

でも裏切った私には、すでに妊娠してお腹には子供が居る。

インドラニ―の優しい娘 − 2 −

「亡くなった、マンデオールムアンド社長は、炎の神インドラのように怖い人で、マグマが噴火すると、怒りは手が付けられない人でしたが、社長の力があってデリー建設はここまで伸びてきたのです」

近代化途上にあるヒンドスターンインドに、その牽引車である首都デリーの発展に必要な、現代の英雄だったと称賛され、重役はじめ町の有力者や市長は、惜しみなく賛辞を送り、葬儀はつつがなく盛大に行われた。

早くて安い、デリー建設の評判は一般にそう悪くはなかったが、

同業者からは、

「早かろう、安かろう、悪かろうのエセ洋風」

と言われ、

自分の家まで、手抜きをして潰れたと陰口を叩かれていたから、

警察は崩壊した原因を、入念に時間をかけて詳しく調べた。

土台の土を盛ったダルコ社をはじめ、セメント、ブロック、鉄骨等の関連会社まで綿密に調査されたが、崖の水抜きのパイプの配管が何本か詰まっていたぐらいで、さほど悪い設備も工事の手抜きも見つからなかった。

最もインドの道路や鉄道や建築は、欧米や日本に比べればかなりいい加減で技術は甘く浅い、これまでの建物はレンガを積んで垂直には建てるが、壁は凸凹で、窓や出入り口は中央から左右に開く観音開きか、下から上に開閉する物が多く、レールを敷いて左右にスライスさせて開くドアはまれで、精密に作業するような観念は希薄であった。

カンナやノコギリやノミを使う大工は少ない上に、道具は恐ろしくキレが悪い。

古来からの歴史のある国ではあるが、技術の進歩は無いに等しいほどに緩慢で、その多くは出来上がりの見た目で判断し、出入口や椅子など、目立つところを一見豪華に飾り立てる。

そんな中でデリー建設は、いち早くサッシを使った洋風を取り入れ、インド伝統の建物としては少し高いが、ヨーロッパ式の建物にしては安価に販売して急成長して来た。

ある年取った刑事が、盛り土に埋めた50本ほどある水抜き用のパイプが、20本ほど詰まっていたことに目をつけ、

「工事で、セメントの詰まったパイプを配管するとは思えない」

誰が詰めたのか調べていたが、そんな事をやる動機のある人が浮かばず、いっこうに調べが進まないので、立ち消えになりあきらめたようだった。

崖が崩れるような住宅の施工は、欠陥なのかも知れないが、なにが欠陥かは指定しにくく、建てたデリー建設はもとより、夫人のカリーナ―も警察も住宅の施工が不備だったのではないか、と言った事にはさほどの関心は無く、やはり原因は異常な長雨のため、植えた樹木の根は浅く、土台となる土もしっかりと固まっておらず崩れた。

そう結論づけて捜査は終わった。

葬儀が終わったあと、残された遺産金をまとめて、忌まわしい出来事を一日も早く忘れたいからと、中学3年の長男と、高校2年の長女に、

「ここを売り払って、引っ越そうかしら」

と提案する。

「いいわよ、ママに任せる」

何年間かではあったが、父の建てた住み慣れた家を去る事に抵抗するかと思っていたが、意外にも引っ越しはすんなりと決まる。

「そのほうが良いかもしれんな」

マンデオールの弟キショールもうなずき、ヴァナラシの近くに住む、マンデオールの両親からの反対もなかった。

デリーの南の新興の住宅地を買って引越しをしたいと、会社に連絡を入れると、

新しく社長になったモーハンと重役のソムラが来て、

「何かと物入りでしょうが、費用の方は大丈夫でしょうか」

と親切に聞く。

夫人は夫のマンデオールから、

「モーハンは押しが弱く、簡単な事まで1人で決められん。あいつに仕事を任せると時間がかかる、苦情処理係だな」

と聞いたことがあり、

会社での順位は、5番手か6番手のずっと下のように思っていた。

軍隊か警察か暴力団のような、人の顔を見て、腰が低く低姿勢に話したり、あるいは高圧に、突然怒鳴り散らすデリー建設にあって、常に穏やかなモーハンが社長になったと聞かされた時は、思いもよらない人事に驚いた。

カリーナーは、主人のマンデオールから、月ごとに必要な家計費を渡されるだけで、金銭の管理は一切タッチしていなかったが、預貯金や保険やらの金額が入っていた。

「それほど贅沢をしなければ、子供たちが大学を出るくらいは何とかなります」

「そうですか、それは良かった」

モーハンは、相手を立てながら丁重に話す。

「実は相談がありまして、と申しますのは他でもないのですが、今後の会社の事なのです」

いずれは株式の上場を目指していたデリー建設の株は、前社長のマンデオールが2000万株全株を所有しています」

上場の第一の条件としては株主を増やさなければいけない。

100パーセントの倍額増資をしたいが、承認してもれないかと言う話だった。

増資分は無償で、重役と役員がそれぞれに振り分けて30%を持ち、カリーナ―が20%。前社長マンデオールの親族に5%、残りの45%は上場された時に投資家に売り、予備資金として会社が保留したいと言う事だった。

「重役が1株も持っていないのでは、何かと世間体が悪いものです」

「会社のことは私には解りませんので、皆さんの良いようになさって下さい」

「そうですか。有難うございます。無償と言いましても、些少ですが1株につき2ルピーの配当がつきます」

増資の新株が2000万株で、その20パーセントは400万株になります。前の株と合わせると2400万株になり、年間配当は4800万ルピーになります」

「えっ、4800万ルピー?私が貰えるのですか」

「はい、厳密に申せば、奥様とお子さまでございます。株価はその時その時で値は変動しますが、上場されればおおよそ1株50ルピーから100ルピーぐらいにはなると思います」

カリーナ―は一瞬黙し、ポツリとつぶやいた。

「そうですか、私たちはお金持ちなのですね」

前社長マンデオールは、他にもあちこちにかなりの不動産を持っていたが、

どこまでが会社のもので、どこからが個人のものか、書類が乱雑で入り組んでいて難しい。

更に他人名義や別会社の物が入り混じっている。

そのたびに弁護士はカリーナ―を訪ねて、説明しサインをするのだが手間がかかる。

「私たちは沢山の株を頂いているのですから、生活に困る事はありませんわ、これ以上の物は望んでいませんから、会社で良いように処分して頂いてかまいませんわよ」

「は、そうですか、かしこまりました」

会社は、揉めると切りがないと覚悟していたから、事後承諾の形での報告で良いと言われ、面倒な事を一任されて肩の荷が下りた。

マンデオールのワンマン経営からの脱却を目指し、何とか穏便に上場をめざす会社が、カリーナ―の資産や家族の取り分を、極端に少なくなるように見積もる事は無かった。

カリーナーは息子と娘に、株や土地や預金などの財産は3等分する事を提案したが、

「普通妻は半分、子供は残った半分を分けるのが一般的よ。私達が学校を出るまで面倒を見るのだから、お金はママが自由に使って、私は株を4分の1を貰えば充分よ」

姉の意見に弟は頷き、家族も会社も大方の事は何の支障も無く片付き、

父に可愛がられていた子達は、カリーナ―を母と慕っているとは思えなかったが、新しい家に引っ越しても、なんら問題も無く一緒に暮らす事になった。

会社から突然に、カリーナ―に副社長就任の要請が来た。

「私が?」

全役員が一致したと言う事だった。

デリー建設の経営は過渡期で、インド全体がだんだんに高級志向が強くなり、レンガからセメントで塗られたヨーロッパ風のビルは乱立するように建てられ、歯止めのない値下げが続いている。

売り上げは頭打ちになり、人件費や資材の値は上がり、儲けの経常利益は落ちていた。

家族経営は通用しなくなり、すでに会社は、近代化へ向けて踏み出していたが、ワンマン社長は、安上がりの建築にこだわり、仕事の内容は旧態依然としていた。

早晩誰が社長になっても、社内の整理は進めなければならない。

やがて変革期を移行すれば安ければ売れる時代は去る。

いらない部門は削る事になるが、経営の転換や解雇は、内外から非難をあびる。

ワンマン社長の強引さがあれば、神の一声で難なく可能な事も、今はもめごとや非難は少なくしたい。

そこで会社が落ち着くまで、前社長の奥さんに副社長になってもらうのが良いのではないかと言う事になり、

条件は週に2日の出勤と、重役会議に出席してくれればよいと言う事だった。

「そうですか、座っているだけでよろしければお引き受けしますが、何にも知らない私で良いのでしょうか、何だか気が引けますわ」

「助かります、事があれば一切私共が処理しますので、心配しないで下さい」

社長のモーハンは、あくまで穏やかで丁重に説得する。

ほどなくカリーナ―は副社長に就任し、デリー建設に迎えられた。

誰もそんな事は期待していなかった。

仕事の内容は聞いても解らなかったが、副社長カリーナ―は、土曜と日曜を除いて、ほぼ毎日のように出勤し、社長のモーハンが不在の時は、下から回って来る書類に目を通し、社長に連絡を入れてから許可されたものにだけサインをした。

テレビを見たり、フアッションや冒険小説を読んで時間を過ごしていたが、

「こんな事で、たくさんのお給料を頂いて良いのかしら」

そう言って、建設関係の本をめくって勉強をはじめ、時には建設中の物件の視察に回り、

「クレーンと、トレーラーと、コンバインは何が違うの」

現場の邪魔にならないように質問をする。

「何だ、お前は、見て解らねえのか」

面倒くさそうに話し、相手にしてくれない現場監督や作業員もいるが、

「こっちのシャベルが付いたのがユンボで、トラックに、資材を積んだり下ろしたりするのがユニットだ」

肩書だけの副社長であったが、たいがいは親切に教えてくれる。

経験があり資格を持つ技術者は、喉から手が出るほどに欲しい。前の社長マンルデオールと、そりが合わなくて辞めた社員を呼び戻す事になったときは、

カリーナ―は暇だからと言って、交渉に同伴し、

無口で控えめに、最初と最後に、

「ナマステー(こんにちは)」

「ダンニャワード(ありがとう)」

くらいしか言わないが、たまにはお願いを口添えする。

「あなたが必要なの、もう一度うちの会社に戻って、仕事をして頂けないかしら」

おっとりとした穏やかな話し方には品があり、飾り物として色合いが良く、社員からは好評で、他の交渉事にも一緒にと声がかかる。

「金額に1つゼロが足りねえよ」

30人もの鳶を使って、かなり大きなビルの足場を組む現場の親方が、若い衆を連れて怒鳴り込んで来た時。

通りかかったカリーナ―は、はっと息をのむように足を止めた。親方のそばにいる24、5歳ほどの若い男が、別れた元婚約者とそっくりだったのだ。

「契約は契約だ。間違えるのが悪い」

対応していた社員は突き返し、社の入口で怒声を上げ揉めていた。

「考えても見ろ、30万や40万のペーシギー(前金)でこの仕事を請け負う馬鹿がどこに居る」

「では修正の書類をととのえて、営業に持って行って、経理に提出して下さい」

「そんな暇はねえよ。銭はすぐ使わなきゃ間に合わねえ、鳶も土工も金を待ってんだ。来月に回されたら困るから来ているんじゃねえか」

親方は、口角に泡を吹き飛ばして怒鳴り続ける。

「仕事はやっているのでしょ、どうして支払えないのかしら?」

カリーナ―はつい口を挟んで社員に聞いた。

「金額を間違えたのはこいつらでして、書類もこいつらが作ったのです」

「お前らも目を通してサインしたじゃないか、俺のせいにするんじゃねえよ」

「大事なお客様に頑固はいけませんわ。経理に行って出せるか聞いて見ましょう」

経理は、

「書類に不備があれば、訂正してから清算してお支払いするのが筋です」

直ぐには現金を渡せないと断られる。

あいにく社長のモーハンと経理部長のビーマルは、ボンベイに出張していて携帯が通じなかった。

「お困りでしょ、どうせお支払するお仕事の代金ですものね」

親方と一緒に銀行へ行き、私のサインで、270万ルピーを借りる事は可能かと相談した。

「会社のお金を使う事が無理でしたら、私個人の借金でも構いませんわ」

「しばらくお待ちください」

銀行は頭取が出てきて、即金で目の前に現金を積んでくれた。

「ごめんなさい、これからもうちの仕事をやって下さいね」

「ああ、間違えた俺も悪いんだ。金さえ貰えば文句はねえさ」

親方はホッとしたように低頭して機嫌よく帰った。

傍に付いていた若い男は運転手だろうか、ただの付き添いのようで一言も喋る事は無く、カリーナ―を見ても終始無表情だった。

婚約者は今はもう40を超えた歳のはず、あんなに若くは無いと思い2人を見送ったのでした。

この事は瞬く間に社内外に広がり、

穏やかで座っているだけの飾り物として、副社長のイスを与えられていたが、

中々気のきく話の解る女ではないかと噂されたのです。

元バラモンを自慢するマンデオールムアンドは、家庭では会社以上の暴君で、

「金で買える女は安い、お前は安い女だ」

妻のカリーナーは、いつもそう言われ、時々に、酔いにまかせては女を連れて来た。

「うお〜、旦那様のお戻りだ」

「お帰りなさいませ、あら、お客様でございますか」

妻は控えめで出しゃばらず、いつも笑顔で対応する事を忘れない。

「おーよ、大事なお客様だ。おまえは別部屋で寝ろ。今夜はお客様と話がある」

酔った女は甘い声を出して、ムハンドの胸にしなだれかかる。

「うふふん、何のお話かしら、あらん、ここ、寝室じゃないの、いいのかしら」

「気にするな。さあ話し合おう、リラックスしてくれ、服を脱げ、」

「いや〜ん、シャワーを浴びさせてよ」

「うははは、ぶちゅん、ぶちゅ、話が先だ」

「ああ〜ん、だめよ、だめ」

妻のカリーナーは笑顔を絶やさず、そっとドアを閉めて部屋を出る。

夜半にお客があった時は、いつも台所へ行き、鍋に水を入れ、冷蔵庫をあけて野菜とソーセージや卵を出して、料理のメイクをはじめる。

ポンとトースターが弾けると、皿に乗せて、横にバターやジャムを添えてワゴンに置き、

何種類かの料理と共に寝室に運ぶ、

「あ〜ん、だ〜めっ、まって、あふ〜ん」

秘め事のもれる、寝室のドアの前にワゴンを置き、そそくさと何事も無いかのように部屋から離れるのでした。

 

太陽はすでに中天にかかり、今日も暑い日が始まろうとしていた。

裸で腰にドーティーを巻いたムアンドは、出された茶をすすりながら、

「子供はスクールか」

「はい」

「客はどうした、帰ったか」

「2時間ほど前にお帰りになりました」

カリーナーは笑顔を絶やさないように心がけながら、一度だけ抗議した事があった。

「深夜に女性のお客様をお連れになるのは、少し控えて頂けませんか。子供も解らない歳ではないのですから」

茶をすすっていた、マンルデオールムアンドの手が止まり、

「何が解るのだ。大事なお客を連れて来て何が悪い」

「それでしたら寝室ではなく、他のお部屋が適当かと思います、ホテルにでも泊まって頂いてはどうでしょう」

「やかましい事を言うな」

低い声で押し殺したように言い、持っていたカップの茶をカリーナーに投げつけた。

「ワシは、夜中まで仕事をしているのだ。文句があるのか。他に言いたい事があれば言え」

「いえ、申し訳御座いませんでした」

「飯だ」

「はい、只今すぐにご用意いたします」

飛び散った紅茶を布巾で拭いて、割れたカップを持って台所へ行き、果物が盛られた皿を持って来る。

炊き込みご飯のビリヤーニーと、ヨーグルトサラダと、紅茶を追加して載せる。

ムアンドはビリヤーニを摘んで口に運び、

「まずい」

一言言って吐き出し、サラダを口に入れて吐き出し、テーブルの端を両手で持ってひっくり返した。

「何年料理を作っているのだ。ええい、わずらわしい顔をするな」

「はい、申し訳ありません」

夫の恫喝に、怯えながら答える。

「それだ、モタモタしたその顔がうっとうしいのだ」

顔を平手で叩くと、髪を掴んで倒して引きずり蹴った。

何が気にいらないのか、気難しい夫の気性に対処する術はない。

ただうつむき、床に頭を付けて、足の上に両手を添えて謝る、

口答えをする事もなければ、自分の意見を言う事もない。

「マーフキーゼー、どうかお許し下さいませ」

怒りの収まるのをただひたすらに待つ。

毎日が怖く、オドオドしながらの我慢の暮らしだった。

夫に言われるままに、思い出しては笑顔を絶やさないように心掛けたが、声を出して笑う事は殆ど無かった。

泣いても事は解決しない、そう思い泣く事も忘れた。

「パパのどこが良くて結婚したの?」

母の顔の痣を見て、娘のニーナから聞かれた事がある。

「う〜ん、どうしてかしら」

36歳になる母は答えなかった。

結婚したのは18年前、17の時だった。

マンデオールは46歳。

再々々婚で2度結婚に失敗している。

1人目の妻は、3年経っても子供が生まれないからと離縁し、

二人目の妻は、怒鳴られるのは怖くて嫌だと言って、半年あまりで家を出て戻って来なかったと聞く。

少女時代は何不自由なく暮らして育った。

絨毯や衣服の卸をしている父の商売が、うまくいかなくなったのは何時からだったのだろうか。

近代化に遅れたインドであったが、それでも文明の波はジワジワと押し寄せてくる。

行商を必要としない安い反物がどっさりとトラックで運ばれ、カシミール産のような高級絨毯は、特定の業者が専売して扱うようになった。

時代の波に乗れず、取り残され背を向けられた男はあがき始めたが、事態が好転する気配はなかった。

カリーナーは、14歳で6歳年上の男と結婚することが決まり、中等学校を卒業したら、式の日取りが決める事になっていた。

父と母の持ってきた縁談で、どんな男か不安だったが、何度か顔を合わせるうちに、男は柔和で優しく気を使ってくれ、結婚に不安や不満は無くなり、指折り数えて式を待っていたが、

「しばらく待ってくれ、半年か3ヶ月でいい」

父は事前に婚約者へ贈る、ダウリー(女性から男性へ持参する結納の金品)のオス牛2頭が用意出来なくて、結婚の日取りは延び延びになり、1年経っても商売は好転せず、

ある日突然に、マンデオールと食事する事になった。

「いい話を持ってきた、お前の結婚話だ。マンデオールさんは、お前が気に入って、嫁に欲しいと言ってくれた。」

父はそういって、突然前の婚約は破棄すると告げられた。

「建設会社の社長はお前にぞっこん惚れたようで、是非に一緒になりたいと言ってくれている、ダウリーなんかいらないとも言ってくれた。それどころか借金の返済もしてくれる。これでまた一から商売できる。全くお前にはもったいないくらいの良い人だ。」

喜び勇んで、婚礼の日取りまで決めて来ていた。

あっと言う間の出来事で、破棄された婚約者が、親や親戚を伴い怒って抗議に来た時は、式の5日前でにべもなく追い返した。

「何の相談もなく勝手に破断にしやがって、お前の親父は人の道に外れているぞ」

婚約者の父が放ったその言葉は、耳に焼きついて離れず今も時々思い出す。

夫に、最初に殴られ足蹴にされたのは何時だったのだろうか。

始めは優しく、

「マーガリックが足りない。ワシは胡麻が嫌いだ、覚えていてくれ」

さとすように言ってくれた。

「何度言ったら解るのだ、塩と唐辛子が足りないのだ。もっと辛くしろ」

「、、、、はい」

カリーナ―は、かみしめるように1拍遅れて返事をしてから行動する。

最初はいとおしく可愛いと思っていた仕草が、だんだんにうっとうしくなり、遅い動作にいらつく。

頭を殴られた時は、驚きで声も出なかった。

「主人が帰ってきたら、妻は出迎えするのが当然ではないのか、君の家ではそうしなかったのか」

意外にも二人暮らしで、特別な日にはお手伝いを頼むことはあったが、掃除選択は全てやらされ、お金の管理も厳しかった。

気性は几帳面で細かく、息の詰まるような長い叱責が始まる。

いつの頃からか、何のためらいもなく頬をぶたれ、足で蹴られるようになる。

産みの親にも、何度かぶたれる事はあったが、これほど激しく殴られはしなかった。

容赦のない折檻を受け、顔がゆがむと思い、殺されるのではないかとおののき実家に逃げた。

実父はカリーナ―の話を聞き怒った。

「マンデオールがそんな男だとは思わなかった。大丈夫だ、ワシが言ってたしなめてやる」

「毎日がとっても怖くて、もうあそこへは戻りたくないの」

必死の懇願だった、

「解かっている、だがな、何の断わりもなくかくまうわけにはいかん」

カリーナ―の手を取ってなだめ、夫マンデオールを呼んだ。

「まだ子供ですから、大目に見て下さいませ。足らん所はこれからもビシビシ躾てやって下さい」

平身低頭に頭を下げて許しを乞う。

手の平を返したような、父の姿を見て唖然とした。

「お前に戻られては顔向けができん。辛くとも我慢するのだ」

貧乏は人を変えるのか。それでもまだ、両親には子供を思う優しさがあると思っていた。

二度目に実家に帰った時は、父母はさもうるさそうに恫喝して、

「お前が戻って来たら、ワシは借金を返さにゃならん。そんな金が何処にある」

家に入れてもらう事もなく追い返された。

この時カリーナ―は妊娠していたが、親には言えなかった。

産みたくない。

シトシトと振りしきる雨に打たれて、あちらにこちらに腰掛けながら、どうして良いか解らずとめどなく歩いた。

どれくらい歩いたのだろうか。

夕闇になる頃、パテルナガル駅前のバスターミナルで雨宿りをした。

バスに乗って何処か遠くへ行こうか、遠くに行けるお金は持っていない。

電車に飛び込んで死のうか。

お腹の子に罪は無い、道ずれにして良いものだろうか。

神はそんな事をお許しはしない。

あても無くぼんやりとしていた。ふと、元婚約者だった男を思い出す。

1度だけだったが、物陰に隠れるように抱き寄せられて、キスをされそうになった事がある。

「結婚まで待ってください」

そう言ってうつむく彼女に、

「マーフキーゼー(ごめんなさい)」

そう言って、優しく肩を抱き寄せ家まで送ってくれた。

それから彼は、婚約破棄を知らされて親を伴って家に来たとき、そっとそばに来て、2人でどこか遠くへ行って暮らそうと言ってくれたが、彼女は決断出来ず答えなかった。

酒の瓶を抱えた柄の悪そうな男たち4,5人が道幅いっぱいに広がり、何やらガヤガヤ話しながら、途方に暮れる彼女の近くに寄って来て、

「お、綺麗な姉ちゃん、俺たちと遊ばない、楽しい事教えちゃうよ」

女をからかい卑下するような笑いを残して通り過ぎ、通りの端に停まっているトラックに向かって歩いて行く。

どこかに荷物を運ぶのだろうか、衣服は汚れ半裸の男もいる。

髭面の男が振り返り、ゆっくりと戻って来て、

「奥さん、どこへ行くんだい」

と話しかけて来た。

「こんな所をうろついていちゃ危ないよ」

頭が濡れているよとも言って、そう綺麗でもない使い込んだハンカチを出した。

「拭きな」

「いえ、大丈夫です」

彼女は、小さくつぶやくように断った。

男は横の車止めのパイプに腰を掛けて、タバコを出して火を点け、

「ダリヤガンジに行くバスは向こうだが、本数は少ないからオートの方がいいよ、呼んでやろうか」

優しそうな声で、さも親切そうに話しかけ、自分の住む所を知っているような口ぶりは、無気味である。

「いえ、いいんです」

「誰かと待ち合わせかい」

「、、、、、、」

こんなところで、知らない男に話しかけられるのは迷惑だった。

何を思ったのか、黒ずみ汚れたハンカチを出して、女の濡れた頭の髪を拭こうとした。

そのしつこさに閉口し、顔を上げてキッと睨んだが、

自分のずうずうしさに気がつかないのか、濡れた髪の毛に手を添えて、さも大事そうに優しくいたわるように拭きはじめた。

何故にそんな事をするのか、ぞっとするほどにおぞましく気持ちが悪い、頭がおかしいとしか思えない。

「止めて」

首を振って手で払うと、ハンカチは水溜りに落ちた。

「おい色男、いつまで何やってんだ、行くぞ」

トラックの横で戯れていた男たちが、大声で髭男を呼ぶ。

「おっ」

手を上げて答え、苦い笑いを残し、

「マーフキーゼー」

そう言って去っていった。

カリーナ―はうつむき、見るとはなしに水溜りに落ちたハンカチを見ていた。

刺繍されたKの小さな文字が読めた。

「、、、、?」

かすかに思い当たる事があった。

まさかと思いながら、恐る恐る水を含んで滴るハンカチを拾って確かめる。

はじっこにミシンで編んだ文字は摩耗してほつれていたが、kaの2文字が読めた。

急いで反対側に刺繍された文字を見る。

黒く変色していてはっきりとは読めない。

傍の水溜りで洗って伸ばすと、Daniと読めた。

カリーナ―は驚きで目を大きく見開き、息をのみ消えかけた文字をなぞって指で確かめる。

それはまぎれもなく、彼女がDanigiと刺繍して婚約者ダニジにプレゼントしたハンカチだった。

「まさか、あの人が」

2年の間に顔の髭が伸び、頭髪はくしゃくしゃで頬がこけて、人相が変わり痩せていたが、あの声はまぎれもなくダニジさん。

「マーフキーゼー」

と言った。

そういえば前にも、何度かゴメンと言われた事があった。

仲間の元へ行く男の背中を見て、

あの人は雨に濡れる私を見て、恨んでも恨みきれないほどに憎んでいるはずなのに、声をかけ頭を拭いてくれた。

身なりは悪くなっても優しさは変わっていない。

そうと解かっていれば、ご免なさい許して下さいと謝りたかった。ダンニャワードとお礼を言いたかった。

まだ結婚はしていないのだろうか。

神は偶然を装い2人を巡り合わせてくれたに違いない。

もしそうなら、今からでも2人は仲良くやっていけるかも知れない。

カリーナ―は立ち上がり男を追ったが、20歩も進んだところで立ち止まった。

男が振り向いたのだ。

ご結婚はと聞きたかったが聞けなかった。

ハンカチを出すと無言で受け取った。

愛があれば、どんな苦労でも乗り越えて行ける。

でも裏切った私には、すでに妊娠してお腹には子供が居る。

この身体では、この人と一緒に暮らす資格が無い。

何も言えずうつむく彼女から離れて、男は仲間の待つトラックの方へ去って行くが、呼び止めて声をかける勇気はなかった。

屑のダイヤのような小粒の雨に打たれながら、ゴールデンジュビリーもあるような大粒の涙が頬を伝って落ちた。

働いた事もなく、行くあてもない17歳の少女は、毎日を柔かな笑顔を作り何があろうと耐える事を覚えた。

夫の話は、論理的で理路整然と筋が通っているように聞こえるが、

気分によって、殴るための口実なのだと思う事があっても、逆らうことなくただひたすらに忍ぶ。

思えば初夜の時、容赦なく突き上げられる痛みに、それは逞しい男の力だと思い、目をつむり唇を噛んで必死に耐えた。

いつからか睦言をかわしての抱擁はなくなり、いかに甘えて媚びようとも、いたわりや優しさは欠けていた。

マンデオールは子煩悩で、子供は可愛がった。

「子供の事に口を出すな」

夫から言われ、

娘は女らしく育てるためによく叱り、

息子は、男らしく凛々しく成長するように、時には手を出したが、

それは、カリーナーとは違う優しさのこもった親の打ちかただった。

娘のニーナも息子のマリクも母にはなつかず、父に甘えて暮らす。

それでも1度、息子は父に逆らった事がある。

「俺はアンタの奴隷ではない、殴るな」

「何だと、育ててもらった親の有難い話が聞けんのか。誰に食わせてもらっていると思っている。この家が嫌なら出て行け」

ある日突然、息子は家を出て友達の所に身を寄せ、

捜索願を出していた父が居所を見つけると、マリクは戻らず貯金を下ろして1人旅に出た。

母マリーナ―はオロオロし、何か言うと、夫は不機嫌になり殴られる。

息子は2か月後に、ヴァナラシに居ると連絡が入り、迎えに行った父と帰って来たが、

何があって家を出て、どのような結末になって戻ったのか、いきさつは一切解らなかった。

それからは夫が、息子に対する態度は、怒る事も少なく叩くこともなくなったが、カリーナ―には容赦がなかった。

3月に1度、半年に1度、髪を掴まれ引きずり回され、頬を叩かれ蹴られる。

子供たちは、見ても知らぬ顔で見ぬふりをし、母に対しいたわりの言葉は無かった。

マンデオールには、8歳年の違うキショールと言う弟が居て時々遊びに来る。

子供の時から仲が良く、大学を卒業すると、マンデオールのデリー建設に入った。

アメリカやヨーロッパなどの建築工学を学んだキショールは、会社の躍進に大きく貢献したが、利益を優先するマンデオールと、段々に意見の衝突が顕著になり、根本のそりが合わない事が解かるとデリー建設を去った。

それでも仕事抜きで飲むのなら、兄弟はいい話し相手ではある。

マンデオールは、妻が男と気軽に話すことは許さなかったが、留守であっても弟が来て、家に入る事には文句を言わなかった。

また彼がいつ来ても良いように、部屋を一つ開けていた。

子供たちは、キショールオジサンが来ると、お土産を期待して喜び、夜遅くまで話しは尽きず、泊まっていく事もあったが、しばしばマンデオールの帰りを待たずに帰った。

「何だ、帰ったのか。あいつはいつも、忙しい時に来やがる」

ニーナはいつだったか、母カリーナ―に聞いたことがあった。

「どうしてパパと結婚したの」

「実家に借金があったの。それが返せなくて、ここに来たの」

母はポツリと言った。

「ふ〜ん、そう、買われたんだ」

意外な乾いた言葉に、カリーナ―は思わずニーナを見たが、

すぐに微笑みうつむく。

それ以上は何も聞かれる事無く、

娘は静かに席を立って部屋を出た。

               <インドラニ―の優しい娘 ー その2 終わり>

                 インドラニ―の優しい娘 − その1 −

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